野田律太(読み)ノダ リツタ

20世紀日本人名事典 「野田律太」の解説

野田 律太
ノダ リツタ

大正・昭和期の労働運動家



生年
明治24(1891)年9月12日

没年
昭和23(1948)年3月16日

出生地
岡山県児島郡小串村小串(現・岡山市)

学歴〔年〕
高等小学校1年修了

経歴
村役場の給仕など多くの仕事を転々とし、のち大阪鉄工所砲兵工廠などで働く。大正5年日本兵器製造会社で職工期成同志会に加入し、6年吉田鉄工所で友愛会に参加。以後友愛会のオルグなどで活躍し多くの争議を指導し、また組合結成。12年総同盟大阪連合会常任となり、また産児制限研究会なども組織。14年無産政党組織準備委員会に評議会代表として出席。昭和2年汎太平洋労働組合代表となったが検挙される。3年の3.15事件で検挙され執行猶予となる。7年社会自由党を結成、のち労働調査所の関西支所長を経て「工場世界」の編集主幹となる。戦後は社会党香川県連の結成に参加し労働組合部長となる。著書に「労働者の明日」「評議会闘争史」「労働運動千一夜」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

日本大百科全書(ニッポニカ) 「野田律太」の意味・わかりやすい解説

野田律太
のだりつた
(1891―1948)

大正・昭和期の労働運動家。明治24年9月12日岡山県に生まれる。高等小学校1年終了ののち、給仕、鉄工所の徒弟などを経て、1916年(大正5)日本兵器製造会社で職工組合期成同志会に加入し、翌年友愛会に加盟する。20年野田造船所を解雇されたのち、友愛会大阪連合会のオルグとなる。さらに23年以降は日本労働総同盟の常任活動家として活動。25年5月の総同盟第一次分裂に際しては、日本労働組合評議会の結成に参加し、28年(昭和3)4月に解散させられるまで委員長を務めた。28年の三・一五事件で検挙され、翌年出獄したが、以後は左翼労働運動を離れ、35年には『工場世界』の編集主幹となり、関西地方の労務担当者の連絡機関を主宰した。敗戦後は日本社会党香川県連の結成に参加している。昭和23年3月16日死去。

[佐瀬昭二郎]

『野田律太著『労働運動千一夜』(1948・日本労農通信社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野田律太」の解説

野田律太 のだ-りつた

1891-1948 大正-昭和時代の労働運動家。
明治24年9月12日生まれ。大阪で旋盤工となる。大正5年職工組合期成同志会にくわわり,翌年友愛会に加盟。12年日本労働総同盟大阪連合会常任役員。総同盟の分裂で14年日本労働組合評議会委員長となる。昭和3年三・一五事件で検挙,投獄された。昭和23年3月16日死去。58歳。岡山県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「野田律太」の解説

野田 律太 (のだ りつた)

生年月日:1881年9月12日
大正時代;昭和時代の労働運動家。「工場世界」編集主幹;社会党香川県連労働組合部長
1948年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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