日本歴史地名大系 「金平村」の解説 金平村かなひらむら 石川県:小松市旧能美郡地区金平村[現在地名]小松市金平町梯(かけはし)川上流の郷谷(ごうだに)川左岸山間部にあり、西は江指(えさし)村、北は大野(おおの)村。中世は軽海(かるみ)郷の河内(かわち)に属した。元亨四年(一三二四)九月一〇日の軽海郷河内新開田数注文(金沢文庫文書)に、「金平田数注文」として惣次郎以下七人の百姓名主と田数を一筆ごとに記載、七人分三〇筆計一〇町一五代。百姓のなかに時宗門徒「円阿弥陀仏」の存在が注目される。嘉暦四年(一三二九)五月日の軽海郷公文大江頼業注進状案(同文書)によれば、金平は山百姓色々公事銭として桑代銭二〇〇文・新畠地子三三〇文・大豆代二五〇文の負担が定められていた。 金平村かねひらむら 福岡県:福岡市東区金平村[現在地名]東区東浜(ひがしはま)一丁目・馬出(まいだし)二―三丁目那珂(なか)郡に所属。御笠(みかさ)川右岸、博多湾沿岸に位置する。東は馬出村、南は堅糟(かたかす)村(現博多区)。北方の糟屋(かすや)郡箱崎(はこざき)村に向かう唐津街道が通っていた。慶長七年(一六〇二)の検地時には堅糟村の内で、のちに分れて別村となる。天保郷帳では堅糟村枝郷。元禄五年(一六九二)には高一八四石余、家数二六・人数一五九(田圃志)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by