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金方慶 きん ほうけい

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

金方慶 きん-ほうけい

1212-1300 高麗(こうらい)(朝鮮)の武将。
康宗元年生まれ。元(げん)(中国)の支配下にあった高麗の高宗,元宗,忠烈王につかえる。元のフビライに重用され,元の日本侵攻(文永・弘安(こうあん)の役)に高麗軍司令官として九州を攻撃するが,敗れた。忠烈王26年8月16日死去。89歳。字(あざな)は本然。諡(おくりな)は忠烈。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

金方慶

没年:忠烈26.8.16(1300.9.29)
生年:康宗1(1212)
高麗の武将。日本語読みは「きん・ほうけい」。字は本烈。諱は忠烈。安東(慶尚北道)の人。1270年から73年の高麗三別抄(反モンゴルの軍隊)の乱に当たり,その追討使を命じられ,珍島(全羅南道),耽羅(済州島)を攻略する。元皇帝フビライに重用され,文永11(1274)年,高麗軍の将中都督として高麗軍8000人を率いて日本の北九州に遠征する(文永の役)。その後,元の武将の洪茶丘により,大青島(忠清南道)に流されるも,まもなく赦免される。弘安4(1281)年,高麗軍の都元帥として1万の兵を率いて東路軍に従い,九州を攻撃する(弘安の役)。元側に通じた高麗の武将であり,元寇時の高麗軍の指揮者である。<参考文献>山口修『蒙古襲来』,旗田巍『元寇』

(関周一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

きんほうけい【金方慶 Kim Bang‐gyŏng】

1212‐1300
朝鮮,高麗朝の武将。字は本然,諡(おくりな)は忠烈。慶尚道安東の人。新羅敬順王の遠孫。高宗・元宗・忠烈王3代に仕え,モンゴル侵略下の多難な内政・外交・軍事の処理に当たった。三別抄の乱(1270‐73)が起こると,モンゴル軍と協力して鎮圧につとめ,その功で門下侍中となり,モンゴルの第1次日本遠征(文永の役)では高麗軍の司令官として出動し,第2次日本遠征(弘安の役)では再び高麗軍をひきいて参戦した。その間,元に行ってフビライに会い国交の調整につとめ,元将の誣告によって島流しにされたこともある。

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