金方慶(読み)きんほうけい(その他表記)Kim Bang-gyǒng

改訂新版 世界大百科事典 「金方慶」の意味・わかりやすい解説

金方慶 (きんほうけい)
Kim Bang-gyǒng
生没年:1212-1300

朝鮮高麗朝の武将。字は本然,諡(おくりな)は忠烈。慶尚道安東の人。新羅敬順王の遠孫。高宗元宗忠烈王3代に仕え,モンゴル侵略下の多難な内政外交軍事の処理に当たった。三別抄の乱(1270-73)が起こると,モンゴル軍と協力して鎮圧につとめ,その功で門下侍中となり,モンゴルの第1次日本遠征(文永の役)では高麗軍の司令官として出動し,第2次日本遠征(弘安の役)では再び高麗軍をひきいて参戦した。その間,元に行ってフビライに会い国交の調整につとめ,元将の誣告によって島流しにされたこともある。83年官をやめ,晩年には上洛郡開国公に任ぜられ,食邑1000戸(名目),食実封300戸(徴税権の実数)を賜った。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「金方慶」の解説

金方慶 きん-ほうけい

1212-1300 高麗(こうらい)(朝鮮)の武将。
康宗元年生まれ。元(げん)(中国)の支配下にあった高麗の高宗,元宗,忠烈王につかえる。元のフビライに重用され,元の日本侵攻(文永・弘安(こうあん)の役)に高麗軍司令官として九州を攻撃するが,敗れた。忠烈王26年8月16日死去。89歳。字(あざな)は本然。諡(おくりな)は忠烈。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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