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三別抄 さんべつしょう

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大辞林 第三版の解説

さんべつしょう【三別抄】

朝鮮高麗時代の軍隊。左右の別抄と神儀軍の総称。モンゴルの侵略により高麗が降伏後も南部で抵抗したが、1273年平定された。

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百科事典マイペディアの解説

三別抄【さんべつしょう】

朝鮮の高麗(こうらい)時代,13世紀の武人政権期の軍隊。別抄とは勇猛の士を集めた臨時軍のことであったが,高宗(在位1213年―1259年)の時,崔氏政権の第2代執権者崔【う】(さいう)が左・右夜別抄と神義軍の三別抄を常設化した。

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世界大百科事典 第2版の解説

さんべつしょう【三別抄】

朝鮮の高麗時代,武人政権期の軍隊。左・右夜別抄,神義軍の3部隊から成る。〈別抄〉は,元来,戦時に臨時に勇猛な者を選抜し組織した軍隊の意。崔氏政権の第2代執権者崔瑀(のち怡)は,国内の治安維持と政権の保全のために武力に優れた者を選抜して,夜別抄を組織したが,その比重の増大とともに,左・右2軍に拡張された。1231年以後高麗はモンゴルの侵略を受け,支配層は江華島に移った。夜別抄は同島防衛に当たるとともに,随時本土に出て,モンゴル軍と戦った。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

三別抄
さんべつしょう

朝鮮、高麗(こうらい)時代の軍隊。崔(さいう)(初名は怡(い)、?―1249)が夜間の盗賊取締りのため驍勇(ぎょうゆう)(強く勇ましい)の士を集めて編成した「夜別抄」に起源をもち、本来は臨時組織であった。のち人員増加に伴って「左・右別抄」に分け、さらに対モンゴル戦の敗北部隊を「神義別抄」に編成して3部隊とし、常備軍化した。「三別抄」は盗賊取締りのみならず首都開城の守備にあたり、モンゴル侵入後は新都江華(こうか)の守備にもあたった。しかし、国家の公的軍隊ではなく、「都房」とともに崔氏政権を支える私兵であった。高麗がモンゴルに降伏し、江華から開城に戻ったのちも「三別抄」は降伏を拒否し、全羅南道南海岸の珍島(ちんとう)に移ってモンゴルに対する抵抗運動を展開した。この運動は民衆の動きとも強く結ばれ、南部沿岸一帯の制海権を掌握した。のちに済州(さいしゅう)島に根拠地を移し、1273年モンゴル・高麗連合軍に全滅させられた。翌年、モンゴル軍の日本遠征が行われた(文永(ぶんえい)の役)。[吉田光男]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の三別抄の言及

【高麗】より

…崔氏の指導の下で高麗は頑強に抗戦したが,その最中に崔氏は滅ぼされ,その後に立った武人の残党もモンゴルと結ぶ国王派に倒され,武人政権は消滅した(1270)。その後も三別抄という軍隊がモンゴルの支配に反対し,南方の島を拠点にして抗戦したが(1270‐73),モンゴルおよび高麗の軍隊に鎮圧された。当時モンゴルは高麗を基地にして日本遠征の準備をすすめていたが,三別抄の抗戦で実現できなかった。…

※「三別抄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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