金目郷(読み)かなめごう

日本歴史地名大系 「金目郷」の解説

金目郷
かなめごう

北金目きたかなめ南金目みなみかなめ一帯をさす。「和名抄」の余綾よろき郡に金目郷がみえる。郷内に治承七年(一一八三)五月三日の源頼朝補任下文(県史一)に「金目観音堂」とみえる光明こうみよう寺がある。

鎌倉時代末には当郷のうちに二階堂忠直(行意)の所領があったが、元弘の乱の結果没収され、鎌倉宝戒ほうかい寺・瑞泉ずいせん寺領となった(明徳元年六月日「金目郷光明寺雑掌善勝重申状写」県史三)。建武二年(一三三五)三月二八日足利尊氏により元弘の乱で亡くなった人々の霊をなだめるため、鎌倉宝戒寺に「金目郷半分」が寄進された(「足利尊氏寄進状案」同書)。同三年一二月二三日の鎌倉府執事斯波家長奉書(同書)によれば、金目光明寺は寺中ならびに寺領などに対する地頭らの妨害停止を訴え、認められている。また同四年一〇月一六日の足利直義安堵状案(同書)では、円観は宝戒寺住持職とともに金目郷半分を安堵されている。前出明徳元年(一三九〇)の善勝重申状写によれば建武年間宝戒寺と瑞泉寺の代官、広田秀倫と伊戸道紹の間で下地中分が行われ、南方を宝戒寺、北方を瑞泉寺が支配することとなった。

金目郷
かなめごう

「和名抄」高山寺本・東急本ともに訓を欠く。「日本地理志料」は「加奈米」と訓を付す。建久三年(一一九二)八月九日北条政子の安産祈願のため誦経を行った相模国内の寺の中に「観音寺金目」がある(吾妻鏡)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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