日本歴史地名大系 「釘貫町」の解説 釘貫町くぎぬきちよう 和歌山県:和歌山市和歌山城下宇治釘貫町[現在地名]和歌山市東釘貫(ひがしくぎぬき)丁一―三丁目・西釘貫(にしくぎぬき)丁一―三丁目・北釘貫(きたくぎぬき)丁・山吹(やまぶき)丁・宇治袋(うじふくろ)町本町(ほんまち)筋西側の宇治地区は西宇治と通称されるが、そのうち本町四丁目より六丁目までの西裏一帯を称する。釘貫の名は宇治の地が鷺森(さぎのもり)・七日市(なのかいち)などに分村した中世末期よりの小名で、城下建設の時釘貫村の村居を北(きた)町の地に移したといわれる(続風土記)。北町は釘貫町の南端に通る横町である。南北の通りが二本通り、東側の通りには元禄一三年(一七〇〇)の和歌山城下町絵図では武家屋敷が両側に一一軒ずつ描かれるが、東側の北端は町屋とする(現東釘貫丁一―三丁目)。 釘貫町くぎぬきちよう 兵庫県:西宮市西宮町釘貫町[現在地名]西宮市本町(ほんまち)西宮神社の表大門(赤門)の前、山陽道に沿った町。西宮町の町方一五町の一(天保九年「西宮町石高町数等書上」岡本家文書)。西は社家(しやけ)町。町名は寛文元年(一六六一)の西宮町検地帳写(西宮市役所蔵)にみえ、住民二四人を記す。そのなかで大夫名をもつ者が三人記されているが、西宮神社とかかわりのある人物であろうか。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by