銀札場跡(読み)ぎんさつばあと

日本歴史地名大系 「銀札場跡」の解説

銀札場跡
ぎんさつばあと

[現在地名]鳥取市掛出町

鳥取城下に設けられた藩札の発行や金銀貨との交換などを行う役所で、札座ともよばれた。設置の時期は不明だが、延宝年間(一六七三―八一)以後とされる(藩史)。藩札はすべて銀高表示されたため、銀札とよばれた。延宝四年裏判吟味役高木彦右衛門が銀札場惣奉行に任じられ、初めて銀札が発行された(銀札場御法度)。この時の銀札場は丹後たんご町にあったという(因府年表)。銀札発行により金銀貨の使用が禁止され、銭貨の使用も大幅な制限を受けた。延宝の銀札は二分から一〇匁までの一二種の小札と一〇〇匁から五〇〇匁までの大札があり、日常通貨となった小札は札座に指定された鳥取町人の屋号にちなんで後世に鶴屋札とよばれた(「総体御法度」「因府年表」など)。翌五年には米の売買については銀貨の使用が認められるなど早くも行詰り(銀札場御法度)、同八年には三分札の民間での交換価値が銭一文となって銀札は実質的に流通しなくなり、七月には売買には銀札を用いるようにとの触が出ている。銀札場は天和二年(一六八二)八月役人の減員など大幅に縮小されたが、正徳元年(一七一一)まで存続、同年一二月廃止されて札座忠次郎は勘定方に属することとなった(因府年表)

享保一六年(一七三一)一〇月再び銀札発行が企てられ、米子倉吉とともに智頭ちず橋北詰に札座が置かれ、二分から一匁まで四種の銀札が発行された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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