改訂新版 世界大百科事典 「鎌倉アカデミア」の意味・わかりやすい解説
鎌倉アカデミア (かまくらアカデミア)
1946年5月,鎌倉市材木座の光明寺を仮校舎として開校した寺子屋式大学。初め私立鎌倉大学校と称したが,神奈川県知事の認可は各種学校。戦争で手を汚さなかった教授陣を集め,文部省の中央集権的教育統制の外で,民主主義的な男女共学により,教授と学生とがお互いに鍛え合う学びの場をつくることを目ざした。初代校長飯塚友一郎の後をうけた三枝博音校長の下の陣容は,学監服部之総,教務課長菅井準一,文学科長林達夫,演劇科長村山知義,映画科長重宗和伸,産業科長早瀬利雄,図書部長片岡良一。のちに横浜市戸塚区小菅谷の旧海軍燃料厰に移転したが,財政難にアカの風評が重なり,50年9月に廃校となった。しかし,同じころに市民大学,自由大学を構想した京都人文学園(1946年6月設立。新村猛園長をはじめ,久野収,鶴見俊輔らを講師とし,男女共学,自由聴講制,試験制度なし,卒業免状なしという徹底した方針をとった。50年春廃校)とともに,敗戦直後の混乱期にユニークな役割を担った在野の学校であり,学問,芸術の分野に多くの人材を送り出した。
執筆者:高瀬 善夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報