長久保城跡(読み)ながくぼじようあと

日本歴史地名大系 「長久保城跡」の解説

長久保城跡
ながくぼじようあと

[現在地名]長泉町下長窪 城山

黄瀬きせ川の西岸、平野部に突出する舌状台地末端(標高約八五メートル)に位置する戦国時代の城郭跡。長窪城とも書く。もと今川氏の城で、天文六年(一五三七)の河東一乱で北条氏綱に略取され、その後は氏綱の弟北条長綱が守備したという(関八州古戦録)。これに対し今川義元は、武田晴信(信玄)援護を得て同一四年九月に当城を攻撃、同月二三日の葛山氏元感状(吉野文書)によれば、「長久保城高橋(馬)」が攻撃の糸口となって、以後一一月六日に北条方が開城するまでの経緯は「高白斎記」に詳しい。結局合戦は武田氏の仲介により駿相一和として収拾された(一一月九日「武田晴信書状写」土佐国蠧簡集残篇)。なお翌一五年四月二九日の北条氏康書状写(歴代古案)は、この合戦以後の動静を示すものとして興味深い

永禄一一年(一五六八)末、武田氏が駿河国に侵攻すると、北条氏は今川氏を支援すべく駿州に出兵、翌一二年一月、蒲原かんばら(現蒲原町)興国寺こうこくじ(現沼津市)、長久保、吉原よしわら(現富士市)の諸城を掌握し、守備を固めている(正月一六日「由良成繁書状写」歴代古案)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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