朝日日本歴史人物事典 「長井時広」の解説
長井時広
生年:生年不詳
鎌倉中期の御家人。大江広元の次男。武蔵国長井荘(埼玉県)を所領とし,長井氏の祖となる。当初朝廷に仕え,建保6(1218)年蔵人に補任される。同年鎌倉幕府将軍源実朝が右大将に任ぜられると,前駆を勤めるため鎌倉に下る。帰京しようとして実朝に制止され,北条義時の口添えを得てようやく上洛。この年叙爵。翌年実朝が右大臣に任命されると再び鎌倉に下向して鶴岡八幡宮拝賀の前駆となる。しかし実朝の暗殺に遭遇し出家。承久の乱(1221)で兄親広が京方に加わり没落したため,広元の嫡流となる。乱後も京都に留まっていたとみられ,備後国守護となる。
(佐々木文昭)
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