日本大百科全書(ニッポニカ) 「リーグニッツの戦い」の意味・わかりやすい解説
リーグニッツの戦い
りーぐにっつのたたかい
1241年に東ヨーロッパに侵入したモンゴル軍が、当時ポーランドに属していたシュレージエン州のリーグニッツLiegnitz(原語はレグニーツァ)の南東10キロメートルの地にあるワールシュタットWahlstattにおいて、これを迎え撃ったヨーロッパ軍を破った戦闘。ワールシュタットの戦いともいう。バトゥ指揮下の将軍バイダル(ペタともいう)は、1240年ごろからポーランドに侵入したので、シュレージエン公ハインリヒは、ドイツ軍、ポーランド軍その他からなる3万の軍隊を率いてワールシュタットで迎撃した。戦闘は1241年4月9日に行われたが、ヨーロッパ連合軍は大敗を喫し、ハインリヒは戦死した。当時のヨーロッパ史料によると、モンゴル軍は、戦場で倒れた敵軍の数を計算するために、死体ごとに一つの耳を切り取ったが、大きな袋9個にいっぱいになったという。この敗戦は当時のヨーロッパ、とくにローマ教皇庁に多大の衝撃を与え、モンゴルに対する十字軍を唱えることになった。
[佐口 透]