長保(読み)チョウホウ

関連語 かんばつ

精選版 日本国語大辞典 「長保」の意味・読み・例文・類語

ちょうほうチャウホウ【長保】

  1. 平安時代、一条天皇の代の年号。長徳五年(九九九)一月一三日に旱魃などの天変により改元、長保六年(一〇〇四)七月二〇日に寛弘元年となる。藤原道長時代出典は「国語‐周語中」の「若本固而功成、施徧而民阜、乃可以長保一レ民矣」。

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日本の元号がわかる事典 「長保」の解説

ちょうほう【長保】

日本の元号(年号)。平安時代の999年から1004年まで、一条(いちじょう)天皇の代の元号。前元号は長徳(ちょうとく)。次元号は寛弘(かんこう)。999年(長徳5)1月13日改元。旱魃(かんばつ)の凶事を振り払うために行われた(災異改元)。『周易(しゅうえき)』『国語(こくご)』を出典とする命名。長保年間は、藤原道長(みちなが)が左大臣として朝廷実権を握っていた。986年(寛和(かんな)2)の一条天皇の即位後、摂政関白藤原道隆(みちたか)が娘の定子(ていし)を一条天皇の中宮とした。道隆の後、弟の道長は1000年(長保2)に定子を皇后とすることで、自分の娘の彰子(しょうし)を一条天皇の中宮とし、自らの権力基盤を固めた。この「一帝二后」は史上初のことで、その後の先例ともなった。定子には清少納言(せいしょうなごん)が、彰子には紫式部(むらさきしきぶ)や和泉式部(いずみしきぶ)が仕え、平安宮廷の女流文学が開花した時期でもある。

出典 講談社日本の元号がわかる事典について 情報

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