長勝寺構(読み)ちようしようじがまえ

日本歴史地名大系 「長勝寺構」の解説

長勝寺構
ちようしようじがまえ

[現在地名]弘前市西茂森一―二丁目

西茂森にししげもり一―二丁目の長勝寺を中心とした寺院街、空堀と土塁をめぐらした構と構内を長勝寺構と称し、また禅寺構ぜんでらがまえとも称した(公私留記)

慶長一五年(一六一〇)から開始した弘前城の築城城下の本格的な建設にあたって、慶長年中に弘前へ移転した長勝寺を中心とする寺院が、城南洪積台地のはずれに配置され、隣接する東側の茂森町とは土塁と空堀で隔てられた。土塁と空堀は、同一五年に乳井大隅守が過料として普請を命ぜられたといわれ(津軽一統志)、これにより長勝寺構は完成した。寛永末年頃の津軽弘前城之絵図(櫛引元三氏蔵)によれば、構内には禅宗長勝寺・同耕春こうしゆん院のほか寺庵が三四と町屋が六軒とあり、在方から構内への寺社移転は、この時期には完了したと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

初冠,加冠,烏帽子着ともいう。男子が成人し,髪形,服装を改め,初めて冠をつける儀式。元服の時期は一定しなかったが,11歳から 17歳の間に行われた。儀式は時代,身分などによって異なり,平安時代には髪を...

元服の用語解説を読む