長尾荘(読み)ながおのしょう

百科事典マイペディア 「長尾荘」の意味・わかりやすい解説

長尾荘【ながおのしょう】

古代の讃岐国寒川(さんがわ)郡長尾郷の郷名を継承し,現在の香川県さぬき市長尾地区に比定される荘園。1288年には鎌倉二位家法華堂領として幕府の管理下にあった。1306年の昭慶門院領目録によると,藤原惟方から美福門院御願寺の安楽寿(あんらくじゅ)院(現京都市伏見区)末寺の興禅(こうぜん)院に寄進されている。安楽寿院領を含む八条院領承久の乱に際し没収され,幕府から後高倉上皇に返付され,のち本家職は大覚寺統に伝えられた。これらの経緯から当荘は領家などの所職が幕府領となり,のち法華堂に施入されたものとみられる。鎌倉幕府滅亡後は室町幕府が管領し,のち山城醍醐寺三宝院に寄進され,以後二位家・右大臣家両法華堂領として存続した。

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改訂新版 世界大百科事典 「長尾荘」の意味・わかりやすい解説

長尾荘 (ながおのしょう)

讃岐国寒川郡(現香川県さぬき市,旧長尾町)の荘園。田数は不明であるが,1352年(正平7・文和1)の請文には東長尾荘領家方の年貢として,300貫文が記されている。当荘は藤原惟方から美福門院御願寺の歓喜光院末寺興善院に寄進された。1306年(徳治1)の昭慶門院御領目録にもその記載がある。のち八条院領となり,後鳥羽上皇のとき承久の乱によって鎌倉幕府によって没収され,後高倉上皇のとき院方に返還され,亀山上皇以後大覚寺統の伝領するところとなった。後醍醐天皇のとき,他の諸荘とともに醍醐三宝院に寄進され,三宝院領として存続した。なお,1449年(宝徳1)の三宝院領目録によれば,当荘は鎌倉法華堂領として三宝院が管領する形となっている。
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