百科事典マイペディア 「八条院領」の意味・わかりやすい解説
八条院領【はちじょういんりょう】
→関連項目荒川荘|国富荘|下河辺荘|蘇原御厨|長尾荘|美福門院
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八条院(暲子(しょうし)内親王)が伝領した皇室領。暲子は、父鳥羽(とば)上皇に寵愛(ちょうあい)され、1140年(保延6)に、その所領12か所と安楽寿院(あんらくじゅいん)領などを譲与された。これらの所領と、1160年(永暦1)生母美福門院(びふくもんいん)(藤原得子(とくし))の死に伴って継承した遺領とをあわせ、その総計は230か所に上った。庁分(ちょうぶん)79、安楽寿院領48、歓喜光院(かんぎこういん)領26、蓮花心院(れんげしんいん)領15、智恵光院(ちえこういん)領5、真如院(しんにょいん)領10、弘誓寺(ぐせいじ)領8、禅林寺今熊野(いまくまの)社領3、新御領2、京御領21ならびに御祈祷所(ごきとうしょ)4か所などが、その構成である。
1155年(久寿2)弟近衛(このえ)天皇の死後、暲子を女帝として擁立しようとする動きもあり、以後も、膨大な所領を基礎にして政界に隠然たる勢力を有した。暲子は、以仁王(もちひとおう)の女(むすめ)三条姫宮を猶子(ゆうし)として所領の譲与を行ったが、その早逝のため所領はふたたび暲子の管領するところとなり、死後、遺領の多くは後鳥羽(ごとば)天皇の皇女春華門院(しゅんかもんいん)(昇子(しょうし)内親王)が伝領した。春華門院の死後、八条院領は、順徳(じゅんとく)天皇から後鳥羽天皇へと伝えられ、承久(じょうきゅう)の乱(1221)に際して一時鎌倉幕府に没収されたが、のち後高倉(ごたかくら)上皇(守貞(もりさだ)親王)に付された。以後、院領は、安嘉門院(あんかもんいん)(邦子内親王)から亀山(かめやま)上皇へ、さらに後宇多(ごうだ)上皇・恒明(つねあきら)親王へと伝領され、大覚寺統の重要な経済基盤となった。後宇多上皇領は、のち昭慶門院(しょうけいもんいん)(憙子(きし)内親王)から尊治(たかはる)親王(後醍醐(ごだいご)天皇)に伝えられた。
[棚橋光男]
鳥羽天皇の皇女八条院暲子(しょうし)の領有した皇室領荘園群。1141年(永治元)鳥羽上皇出家の際に譲与された12カ荘に始まる。60年(永暦元)母美福門院の死去に際し,その所領のうち歓喜光院領・弘誓院領が与えられ,八条院が74年(承安4)に建立した蓮華心院領をあわせて八条院領が構成された。76年(安元2)時点で100カ荘を領有。1211年(建暦元)八条院が没すると,猶子の春華門院(後鳥羽天皇皇女)に伝えられたが,まもなく同女院が没したため順徳天皇領となり,後鳥羽上皇が管領した。承久の乱で幕府に没収されたのち後高倉院に寄進され,このとき221カ荘を数えた。のち亀山上皇に伝えられ,大覚寺統の経済的基盤となった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…墓は京都市右京区鳴滝中道町にある。
[八条院領]
鳥羽上皇は,出家した1141年(永治1)御願寺(ごがんじ)領を含めて,集積した荘園群の一部,9ヵ所を美福門院に,12ヵ所を子に処分しているが,鳥羽の死後そのすべてが美福門院から八条院に譲られた。その間にも平頼盛,藤原長経などの受領(ずりよう)の寄与により荘園の数はさらに増加し,76年(安元2)2月の前闕の目録(〈山科家古文書〉)には,歓喜光院領17以上,弘誓院(ぐせいいん)領6,智恵光院領1,蓮華心院領4,庁分(女院庁の直接管理する荘分)40がみえ,これに安楽寿院領を加えた荘園群が成立している。…
…美福門院得子を本家として成立した皇室領荘園で,その年貢の一部が宝荘厳院と高野山の大伝法院に進納された。美福門院が亡くなると,娘の八条院子に伝領され,大覚寺統の最重要所領たる八条院領の一つとなった。1299年(正安1)亀山上皇によって南禅寺に寄進され,以後南禅寺領として戦国時代に至る。…
…これらの皇室領荘園は,荘園群として女院(によいん)領,御願寺(ごがんじ)領というかたちで伝領された。後白河院によって12世紀末に創設された長講堂領に含まれる荘園には平田荘(鶉,革手,市俣,加納),蜂屋荘など,七条院領には鵜飼荘,弾正荘,美濃国分寺,八条院領には多芸荘,古橋荘など,歓喜光院領には久々利荘,鵜沼荘などがあり,その数は膨大なものであった。摂関家領は,現在25ないし26ヵ所が確認されており,これらの荘園のほとんどが摂関政治後期から院政初期に摂関家の支配下に入った。…
…しかし幕府は逆に法皇の内意を問い,法皇の中宮であった大宮院の証言により亀山天皇の親政と決定された。一方,皇室領荘園のうち長講堂領が持明院統に伝領されたほかは,八条院領,室町院領などの帰属があいまいなままに残され,その帰属をめぐって両統の間に対立が生じ,天皇家を分裂させることとなった。亀山天皇は皇子世仁親王(後宇多天皇)に位を譲ったが,その際後深草上皇の意をおもんぱかった幕府の執権北条時宗の斡旋によって,後深草の皇子熙仁親王が亀山天皇の猶子として皇太子に立った。…
※「八条院領」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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