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藤原惟方 ふじわらの これかた

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原惟方 ふじわらの-これかた

1125-? 平安時代後期の公卿(くぎょう)。
天治(てんじ)2年生まれ。葉室顕頼(あきより)の次男。母は藤原俊忠の娘。保元(ほうげん)3年(1158)参議。翌年に検非違使(けびいし)別当,従三位。平治(へいじ)の乱で藤原信頼方につき,兄光頼の説得で離反。乱後は二条天皇の親政につくし,後白河上皇の怒りにふれて長門(ながと)(山口県)に流された。永万2年(1166)召還。法名は寂信。家集に「粟田口(あわたぐち)別当入道集」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

藤原惟方

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:天治2(1125)
平安末期の公卿。二条天皇の側近。民部卿顕頼の次男。母は中納言藤原俊忠の娘で二条天皇の乳母俊子。初め美福門院に仕え,久寿2(1155)年春宮(のちの二条天皇)大進となり,翌年には権右中弁,蔵人となる。保元の乱(1156)後に政治の実権を掌握した信西(藤原通憲)のもとで,記録所の運営や内裏造営などの諸政策に協力,保元3(1158)年には蔵人頭となる。同年二条天皇への譲位にともなって参議に上り,藤原経宗と共に二条天皇親政派の中心人物となって信西と対立。翌平治1(1159)年には従三位,検非違使別当となり,後白河上皇の寵臣藤原信頼と結んで信西打倒に加担するが,形勢不利とみるや平清盛方について事なきをえた。平治の乱(1159)後は二条天皇側近として天皇親政をめざし,後白河上皇と反目,永暦1(1160)年長門国(山口県)に配流され出家。仁安1(1166)年召還。歌人としても知られ,家集『粟田口別当入道集』がある。

(土谷恵)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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