国指定史跡ガイド 「長岡宮跡」の解説
ながおかきゅうせき【長岡宮跡】
京都府向日(むこう)市鶏冠井(かいで)町にある宮殿跡。京都盆地の西端を南流する桂川の右岸、淀川との合流点に近い向日丘陵に位置する。長岡京は桓武天皇の命により、784年(延暦3)に平城京から遷都し、平安京に移るまでの10年間、都であった。従来「幻の都」とされてきたが、1955年(昭和30)に朝堂院(ちょうどういん)の門跡が、1962年(昭和37)には大極殿跡が発掘されたところから、1964年(昭和39)に国の史跡に指定された。大極殿跡は周辺の石敷、凝灰岩の痕跡などにより、基壇は東西40.3m、南北21.6mと認められ、南面中央と東西に3ヵ所の階段の跡があった。小安殿跡は大極殿跡の北に接し、東西31.55m、南北15.25mの基壇上に桁行7間、梁行2間の建物があったと推定される。その後、築地跡や礎石建物である8つの朝堂の規模も明らかになり、1997年(平成9)には旗飾りのための宝幢(ほうどう)遺構3基が検出された。遺構は長さ約2.1m、幅約1.2m、深さ約0.8mの柱穴で、大極殿の南端から約30m南の位置に、3m間隔で計画的に配置された7基のうちの、東側3基と考えられる。平城宮の大極殿前庭で検出された同様の遺構は、天皇の即位式に際して建てられたものと考えられているが、長岡宮では即位式が行われなかったので、この宝幢は朝賀にともなうものとみられた。付近の向日市文化資料館では出土品と大極殿・朝堂院の復元模型が展示されている。阪急電鉄京都線西向日駅から徒歩約5分。