京都府南部の盆地。山城盆地ともいう。第三紀末ごろに形成された地溝性の盆地で,南北約40km,東西約15km。奈良丘陵によって限られた南側を除けば,周辺はいずれも標高600mほどの古生層山地で,盆地とは断層で画されている。東側は比叡山とそこから南へ続く東山一帯,および醍醐山地,信楽(しがらき)山地に,西側は摂丹山地東端の西山と生駒山地に,北側は丹波高地南端の北山が連なる。これらの山麓部には第三紀層からなる丘陵や洪積台地が発達し,それらの間に岩倉,山科(やましな)などの小盆地がある。京都盆地へは南から木津川,東から宇治川,北西から保津川(桂川)が流入しており,この3川は多くの支流を合わせたうえ,盆地南西部で合流して淀川となり,山崎の狭隘部を通って大阪平野へ流出している。この合流点付近の盆地最低部には第2次世界大戦前まで巨椋池(おぐらいけ)があったが,1941年に干拓が完了し,主として水田地帯となっている。これらの河川沿いには大小さまざまな扇状地が発達し,木津川両岸には自然堤防帯,さらに旧巨椋池湖岸付近には低湿な三角州平野がみられる。
京都盆地は早くから開発が進んだ地域であり,日本の古代国家の中核地域の一つであった。奈良時代には山陰道,北陸道が盆地西縁,東縁を通っていたと考えられ,784年(延暦3)には現在の向日(むこう)市,長岡京市一帯にあたる長岡京に都が移り,794年にはさらに平安京に遷都されて現在の京都市の基礎となった。平安京からは東海道など四方へ幹線交通路が延びていたが,当時の交通路は基本的には現在まで踏襲されている。現在,盆地には京都府の人口の約2/3が居住しており,旧巨椋池北部はほとんど市街地化し,盆地南部にもしだいに都市化が及んでいる。
執筆者:金田 章裕
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
京都府南部を占める盆地。山城盆地(やましろぼんち)ともいう。瀬戸内海陥没地帯の延長にあたり、近畿地方の中央部を南北に走る隆起軸に沿って生じた地溝盆地である。南北約30キロメートル、東西約10キロメートルの小判状をなしている。北部から北西部は丹波(たんば)高地で囲まれ、京都市北部は北山山地、西部は西山山地とよばれる。また東部は比良(ひら)山地から続く花折(はなおれ)断層によって西麓(せいろく)を画された四明(しめい)岳(839メートル)を主峰とする地塁状の比叡(ひえい)山地で、南は東山丘陵に連なる。また盆地南部の西は甘南備(かんなび)丘陵で大阪平野と、南は奈良坂丘陵で奈良盆地と境する。更新世(洪積世)の湖盆時代に堆積(たいせき)した洪積層が周辺に洪積台地を形成しているが、盆地の中央は琵琶(びわ)湖から発する宇治川が東西に流れ、北から流れる鴨(かも)川、桂(かつら)川、南から流れる木津川と合流し、合流点近くには、昭和初期まで遺跡湖の巨椋池(干拓化)が残存していた。
奈良盆地に接する京都盆地は早くから開発され、ことに8世紀後半から長岡京、平安京が造営され、明治維新まで1000年間王城の地として栄え、現在も京都市のほかに、宇治、向日(むこう)、長岡京、城陽、八幡(やわた)の5市が位置し、人口も約180万人が集中する。交通の要地で、東海道本線、東海道・山陽新幹線、名神高速道路などが通じ、阪急電鉄など私鉄の出入りも多い。京都市周辺では工業も発達し、南部では集約的な近郊農業が営まれる。
[織田武雄]
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新