朝賀(読み)チョウガ

デジタル大辞泉 「朝賀」の意味・読み・例文・類語

ちょう‐が〔テウ‐〕【朝賀】

古代元日天皇大極殿だいごくでん群臣祝賀を受けた大礼朝拝。みかどおがみ。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「朝賀」の意味・読み・例文・類語

ちょう‐がテウ‥【朝賀】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 元日に皇太子以下諸臣が朝廷に参上して、天皇・皇后に新年のよろこびを奏上する儀式大化二年(六四六)に始まる。みかどおがみ。朝拝。また、正月二日に皇后・皇太子が諸臣の朝賀を受ける中宮朝賀・東宮朝賀も、平安時代から行なわれた。《 季語・新年 》
    1. [初出の実例]「天皇御大極殿。王臣百寮及渤海使等朝賀」(出典:続日本紀‐神亀五年(728)正月庚子)
  3. 参内して寿詞を述べること。〔史記‐秦始皇本紀〕

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「朝賀」の意味・わかりやすい解説

朝賀 (ちょうが)

正月の元日に皇太子以下諸臣が朝廷に参上し,天皇,皇后に新年のよろこびを奏上する儀式。朝拝,〈みかどおがみ〉ともいう。本来は中国の儀式で,日本では646年(大化2)に大極殿に行われたのが初見である。即位式とともに大儀で,皇太子以下は礼服を着し,唐風に行われた。大極殿前庭の式場には竜尾壇と称する階段に鳥形幢を立て,東に日像・朱雀・青竜幡,西に月像・白虎・玄武幡などを立て,香炉などが設けられる。大極殿には天皇の高御座(たかみくら)と皇后の御座が設けられ,皇太子が高御座の前に至り,賀のことばを奏上する。天皇の詔があって,諸臣が拝舞し,武官が旗を振り万歳をとなえる。701年(大宝1)には儀式として整ったものがみられ,9世紀はじめの嵯峨天皇のときから朝賀の儀の様式を即位の儀にも用いるようになった。嵯峨天皇の勅で藤原冬嗣の撰した《内裏式》に,詳細な儀式次第が書かれている。元日が風雪その他の理由で2日,3日,5日に行われたこともあり,諒闇,日食等により廃することもあった。皇后,皇太后太皇太后,皇太子にも朝賀が正月2日に行われた。また地方においても元日に国庁で国司が属僚郡司をひきいて朝拝し,長官が賀を受けた。朝賀は一条天皇の正暦年間(990-995)以後廃絶し,これにかわって朝賀の後に清涼殿で行う略式の小朝拝こちようはい)がもっぱら行われるようになった。小朝拝は9世紀中ごろの文徳・清和天皇のころからはじまり,のち朝賀のない年に行われるようになり,醍醐天皇の905年(延喜5)に一時停止したが,919年に復活し,摂関期には〈小朝拝常の如し〉(《御堂関白記》)となった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「朝賀」の意味・わかりやすい解説

朝賀
ちょうが

朝廷の年中行事。1月1日、群臣が年始の礼として大極殿(だいごくでん)に出御した天皇に、「拝舞(はいぶ)」という礼を行った儀式。「朝拝(ちょうはい)」「みかどおがみ」ともいった。中国で漢朝以来行われていた朝賀の制度を取り入れたもので、その礼服は純然たる中国式であった。わが国における起源は明確ではないが、孝徳(こうとく)天皇の646年(大化2)には行われている。

 その儀式は即位の式と同じで、盛装した群臣が大極殿の南庭に整列し、天皇は皇后とともに出御してから皇太子が賀を奏し、天皇がそれに答えて詔(みことのり)を下す。さらに群臣が拝舞(はいぶ)して年始の挨拶(あいさつ)をするというもので、きわめて大規模な盛儀であった。そのためかしだいに行われない年が多くなり、かわりにはるかに小規模な「小朝拝(こちょうはい)」が代行された。朝賀は一条(いちじょう)天皇の正暦(しょうりゃく)年間(990~995)以後は廃絶した。

[酒井信彦]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

普及版 字通 「朝賀」の読み・字形・画数・意味

【朝賀】ちよう(てう)が

参内して祝う。漢・王褒〔四子講徳論〕日(につちく)(外国の名)、國を擧げてに歸し、單于(ぜんう)、臣として賀す。

字通「朝」の項目を見る

出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「朝賀」の解説

朝賀
ちょうが

朝拝とも。元日に天皇が王公百官の拝賀をうける儀式。式場の設営・式次第などは即位礼と同じで,延喜式制では大儀。朝7時頃に天皇・皇后が小安殿に入り,皇太子以下群臣が朝堂院に参入,異位重行(いいじゅうぎょう)に並ぶ。天皇は冕服(べんぷく)を着て大極(だいごく)殿の高御座(たかみくら)に出御。皇太子の拝賀,奏賀・奏瑞(そうずい)の儀があり,天皇はそれぞれに侍従・奏賀者を通じて返詔を宣制する。これをうけて王公百官は再拝・舞踏し,武官は旗を振って万歳を唱える。終わって天皇・皇后は入御し,宴会(節会(せちえ))を行う豊楽(ぶらく)院に遷御する。朝賀は(1)皇太子の拝賀,(2)群臣を代表する奏賀者の奏賀,万歳斉唱・再拝などにより構成されるが,これは(1)と(2)を別儀とする唐礼をあわせたためか。11世紀以後は廃絶し,もっぱら小朝拝(こちょうはい)が行われた。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「朝賀」の意味・わかりやすい解説

朝賀
ちょうが

元日に天皇が大極殿で群臣の年頭の拝賀を受ける儀式。朝拝ともいう。孝徳天皇の大化2 (646) 年に始ったといわれる。その儀式は令制により整備された。令制上の大典であったが,一条天皇 (在位 986~1011) の頃から行われなくなり,朝賀は天皇の即位式に伝わり,元日には略式の小朝拝のみとなった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

一粒万倍日

一粒の種子をまけば万倍になって実るという意味から,種まき,貸付け,仕入れ,投資などを行えば利益が多いとされる日。正月は丑(うし),午(うま)の日,2月は寅(とら),酉(とり)の日というように月によって...

一粒万倍日の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android