朝賀(読み)ちょうが

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

朝賀
ちょうが

元日に天皇が大極殿群臣年頭拝賀を受ける儀式。朝拝ともいう。孝徳天皇の大化2 (646) 年に始ったといわれる。その儀式は令制により整備された。令制上の大典であったが,一条天皇 (在位 986~1011) の頃から行われなくなり,朝賀は天皇の即位式に伝わり,元日には略式小朝拝のみとなった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ちょうが【朝賀】

正月の元日に皇太子以下諸臣が朝廷に参上し,天皇,皇后に新年のよろこびを奏上する儀式。朝拝,〈みかどおがみ〉ともいう。本来は中国の儀式で,日本では646年(大化2)に大極殿に行われたのが初見である。即位式とともに大儀で,皇太子以下は礼服を着し,唐風に行われた。大極殿前庭の式場には竜尾壇と称する階段に鳥形幢を立て,東に日像・朱雀・青竜幡,西に月像・白虎・玄武幡などを立て,香炉などが設けられる。大極殿には天皇の高御座(たかみくら)と皇后の御座が設けられ,皇太子が高御座の前に至り,賀のことばを奏上する。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

朝賀
ちょうが

朝廷の年中行事。1月1日、群臣が年始の礼として大極殿(だいごくでん)に出御した天皇に、「拝舞(はいぶ)」という礼を行った儀式。「朝拝(ちょうはい)」「みかどおがみ」ともいった。中国で漢朝以来行われていた朝賀の制度を取り入れたもので、その礼服は純然たる中国式であった。わが国における起源は明確ではないが、孝徳(こうとく)天皇の646年(大化2)には行われている。

 その儀式は即位の式と同じで、盛装した群臣が大極殿の南庭に整列し、天皇は皇后とともに出御してから皇太子が賀を奏し、天皇がそれに答えて詔(みことのり)を下す。さらに群臣が拝舞(はいぶ)して年始の挨拶(あいさつ)をするというもので、きわめて大規模な盛儀であった。そのためかしだいに行われない年が多くなり、かわりにはるかに小規模な「小朝拝(こちょうはい)」が代行された。朝賀は一条(いちじょう)天皇の正暦(しょうりゃく)年間(990~995)以後は廃絶した。

[酒井信彦]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典の解説

ちょう‐が テウ‥【朝賀】

〘名〙
① 元日に皇太子以下諸臣が朝廷に参上して、天皇・皇后に新年のよろこびを奏上する儀式。大化二年(六四六)に始まる。みかどおがみ。朝拝。また、正月二日に皇后・皇太子が諸臣の朝賀を受ける中宮朝賀・東宮朝賀も、平安時代から行なわれた。《季・新年》
※続日本紀‐神亀五年(728)正月庚子「天皇御大極殿。王臣百寮及渤海使等朝賀」
② 参内して寿詞を述べること。〔史記‐秦始皇本紀〕

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報