長島愛生園(読み)ながしまあいせいえん

改訂新版 世界大百科事典 「長島愛生園」の意味・わかりやすい解説

長島愛生園 (ながしまあいせいえん)

日本で最初の国立ハンセン病(癩(らい))療養所。1930年(昭和5)岡山県長島に竣工当初の収容定員は400人で翌31年多磨全生園から転園した85人を収容したのがはじめである。36年,劣悪な待遇に耐えきれず逃亡をはかった患者を監禁したことに端を発して,患者が待遇改善や患者自治の確立などを要求した長島事件が起きているが,愛生園のあゆみは日本の癩病対策の歴史を凝集したものともいわれる。ハンセン病の治療は今日では著しく進歩し,全国13ヵ所の国立療養所に生活している約5400人の患者の9割5分以上は治癒しているといわれるが,社会復帰は容易なことでなく,愛生園にもなお668人が収容されている(1997年1月現在)。
ハンセン病
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の長島愛生園の言及

【長島】より

…古代は官牧であった。1930年にハンセン病の国立療養所が設置され,翌年に長島愛生園と改称された。38年には西部にも国立の邑久光明園が置かれた。…

【光田健輔】より

…東京市養育院に勤めたが,ここで癩患者に接したことから癩病に関心をもつようになり,同院内に癩患者専用の〈回春病室〉を設営した。渋沢栄一をはじめとした有識者や行政機関に癩予防の重要性を進言し,1909年創始された公立癩療養所全生病院の医長(のち院長)となり,31年には瀬戸内海の島(岡山県下)に設立の国立療養所長島愛生園の園長として着任し,57年退官するまでその地位にあった。日本の癩患者数減少に尽くした功績は大きい。…

※「長島愛生園」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android