病院の一形態で、慢性疾患を対象とし、長期、特殊な入院加療が行われることが多い。日本の病院は、当初、養生所、療病院などの名でよばれたが、特定の疾患を対象とするものに癲狂(てんきょう)院(精神疾患)、黴毒(ばいどく)院などがあり、らい(ハンセン病)患者だけを収容するものもあった。らい救済は外人宣教師に負うところが大であったが、光田健輔(みつだけんすけ)らの建言で1909年(明治42)に府県立の公立療養所として第二区連合道県立北部保養院が青森にできたのをはじめ、同年中に全国を五つの地区に分け、そのおのおのにらい療養所がつくられた。30年(昭和5)に最初の国立療養所である長島愛生(あいせい)園が瀬戸内海の島(岡山県)に建てられた。
療養所として古い歴史と組織をもっているのは結核で、サナトリウムとよばれた。これはイギリスのボディングトンGeorge Bodington(1799―1882)に始まり、1859年に日光浴や水治療法のサナトリウムを設立したドイツのブレーメルHermann Brehmer(1826―89)、84年にアディロンバック・コテジ・サナトリウムを建てたアメリカのトルードーEdward Livingston Trudeau(1848―1915)らにより確たるものとなった。日本では1889年(明治22)鶴崎平三郎(1855―1934)が須磨浦(すまうら)療病院を創始。当時は大気が重視されたこともあり、林間や海浜に設けられることが多かった。1914年(大正3)に肺結核療養所に関する法律ができ、法的にも療養所の語が確定し、17年に最初の公立療養所である大阪市立刀根山(とねやま)療養所ができ、これは第二次世界大戦中の日本医療団移管を経て、傷痍(しょうい)軍人療養所などとともに国立療養所となった。戦後は国立への移管を進めたこともあって、一時は多数の国立療養所ができたが、その後結核治療の進歩とともに、同症は減少し、これらの施設は療養医療、難病などに重点を置くようになり、またリハビリテーションを通じての社会復帰を目的とする施設に変換したものが多い。ほかに当初軍人を対象とした軍事保護院療養所(精神疾患)や脊髄(せきずい)療養所があったが、その後、一般人を対象とすることに変換して今日に至っている。
[長門谷洋治]
『国立療養所史研究会編『国立療養所史』(1976・厚生問題研究会)』
病院の一種で,とくに結核,精神病,ハンセン病など慢性疾患を対象として,長期に及ぶ入院患者を収容する医療施設をいう。かつて結核の比重が高かった時代にはサナトリウムの名で呼ばれたが,近年は病院と改称されるようになっている。現在,これら療養所のほとんどは国立療養所で,第2次大戦後の1945年に傷痍(しようい)軍人療養所(結核36,精神3,脊髄1,温泉10)が,さらに47年に日本医療団所属の95の結核療養所が厚生省に移管されて,現在の体系の基礎がつくられた。〈医療法〉では,日本の医療施設のうち,病床数20以上のものを〈病院〉,19以下のものを〈診療所〉とし,療養所についての規定はないが,国立療養所については,49年に公布された〈厚生省設置法〉に,〈特殊の療養を要する者に対して医療を行い,あわせて医療の向上に寄与する〉施設として規定されている。1960年代には結核患者の減少につれ,重症心身障害児,筋萎縮症児,小児慢性疾患児などが,また70年代には脳卒中の医学リハビリテーション,精神障害などが対象に含まれるようになって,機能的に拡大され,整備されるようになった。この間,民間の結核療養所などの多くは,結核病棟に比重はかけつつも,一般病院へと転換した。国立療養所は,全国で24施設(1994年現在)と激減している。結核が9施設,ハンセン病が15施設あり,国立病院・療養所の専門分野の拡大と機能を統合して再編成が進められているが,87年の国立精神神経センター,92年の国立がんセンター東病院,93年の国立国際医療センターの発足などもその例である。
→病院
執筆者:溝口 勲
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