長持寺跡(読み)ちようじじあと

日本歴史地名大系 「長持寺跡」の解説

長持寺跡
ちようじじあと

[現在地名]日南市板敷

板敷いたじきの南部にあった曹洞宗寺院。江戸時代には飫肥おび城の北に位置し、飫肥領内三大寺院の一に数えられていた(日向地誌)。元禄一六年(一七〇三)の長持寺口上書(矢野家文書)や「日向地誌」などによると創建は応永三三年(一四二六)で、開基伊東祐尭が居城のある都於郡とのこおり(現西都市)建立開山には飯野いいの(現えびの市)長善ちようぜん寺三世義芳光訓(峨山派の流れをくむ明窓妙光の弟子)を招いたという。天文一一年(一五四二)一〇月一五日には後奈良天皇勅願寺となり(「後奈良天皇綸旨写」矢野家文書)、伊東氏の飫肥入部後、当地にあった薩摩国福昌ふくしよう(現鹿児島市)末寺永源寺の寺跡に再興されたという。なお伊東氏大系図(宮崎県総合博物館蔵)では祐尭の父祐立の建立とする。永正一七年(一五二〇)日向に着いた幕府遣明使瑞佐は、当寺閑翁から広照寺の上人の母善仏尼を哀悼する詩の作成を頼まれている。閑翁は元越前永平寺の僧侶であったが、日向布教のため永正一三年に当寺に来たといい、自らも旧知の瑞佐に漢詩を依頼した。また当時の住職は永智鏡翁で、鏡翁も瑞佐に漢詩を依頼している(日下一木集)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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