日本歴史地名大系 「長沢保」の解説
長沢保
ながさわほ
建武二年(一三三五)七月、中先代の乱に呼応して蜂起した名越太郎時兼に「野尻・井口・長沢・倉満ノ者共」が応じている(「太平記」巻一三)。同年一一月二七日越中衆「井上・野尻・長沢・波多野ノ者共」は、今度は足利尊氏の御教書を掲げ、越中の新守護普門蔵人利清に率いられて挙兵し、能越国境の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
建武二年(一三三五)七月、中先代の乱に呼応して蜂起した名越太郎時兼に「野尻・井口・長沢・倉満ノ者共」が応じている(「太平記」巻一三)。同年一一月二七日越中衆「井上・野尻・長沢・波多野ノ者共」は、今度は足利尊氏の御教書を掲げ、越中の新守護普門蔵人利清に率いられて挙兵し、能越国境の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...