長畠村(読み)ながばたけむら

日本歴史地名大系 「長畠村」の解説

長畠村
ながばたけむら

[現在地名]坂井町長畑ながばたけ

上新庄かみしんじよう村の東、坂井平野の中央部東寄りに位置し、北陸街道沿いに開けた農村。「長畝村」(越前国名蹟考)とも記され、明治五年(一八七二)以降は長畑と記された(足羽県地理誌)

村名は正保郷帳にみえ、田方七〇石・畠方三一五石余。これより前、慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では長畝下のうねしも郷に属していた。貞享三年(一六八六)以降幕府領となり、元禄一〇年(一六九七)葛野藩領となったが、その後、幕府領およびその福井藩預領となった。


長畠村
ながばたけむら

[現在地名]北淡町長畠小倉おぐら

舟木ふなぎ村の南西にあり、北は蟇浦ひきのうら村、北西は海に面する。海岸部から東方山間部に広がり、北部を小倉川、ほぼ中央を南の仁井にい村に発した鳴見なるみ川が北西流する。深い谷筋の底から上へと「長畠の百枚田」などといわれる段状の田が続く。正保国絵図に村名がみえ、高一五二石余、天保郷帳では高一九七石余。反別戸数取調書によると反別二四町五反余、高三五一石余はすべて蔵入地。家数四三・人数二二八。近世後期には机組に属した。明治一〇年(一八七七)舟木村など三ヵ村と合併して仁井村となる。北西部の細長く海岸に突出している地は小倉の浜とよばれ、風波により浸食されて陸地は数十メートルも海中に没している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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