日本歴史地名大系 「下関村」の解説
下関村
しもせきむら
北方を
下関村
しもぜきむら
高岡町の南、上関村の北方、
下関村
しもぜきむら
下関村
しもせきむら
- 秋田県:湯沢市
- 下関村
雄物川右岸の河岸段丘上にある街村。南西は
享保一四年(一七二九)の雄勝郡御黒印吟味覚書(秋田県庁蔵)には、
とあり、この時期以前の上関・下関両村の藩の帳簿上の記載について述べている。
正保四年(一六四七)の出羽一国絵図には関村五六五石とある。宝永二年(一七〇五)の雄勝郡村々御黒印高牒(秋田県庁蔵)には「関村上下」とあり、高は本田五七七石二斗六升五合、新田四四三石九斗五升三合、計一千二一石二斗一升八合、当高一千一七四石六斗九升六合。享保八年の雄勝郡郡村本村支村御高共調帳(秋田県庁蔵)には「関村上下、上関家数四拾壱軒、下関家数五拾壱軒」とあり、当高は前に同じ。
下関村
しもぜきむら
現本山町東端部に位置し、東は
天和三年(一六八三)一一月一五日付御留山改帳(「日本林制史調査史料」所収)によると村内には行川山・地吉山の二ヵ所の留山があり、名本高橋孫兵衛が留山の山守役を兼務、百姓三人役を給せられていた。
下関村
したせきむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報