長谷川宗也(読み)はせがわ そうや

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長谷川宗也」の解説

長谷川宗也 はせがわ-そうや

1590-1667 江戸時代前期の画家
天正(てんしょう)18年生まれ。長谷川等伯の子。父にまなび,障屏(しょうへい)画をえがく。京都八坂神社扁額(へんがく)「布袋(ほてい)大黒角力(すもう)図絵馬」をのこしている。寛文7年8月6日死去。78歳。京都出身。名は信正。通称は新之丞。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「長谷川宗也」の意味・わかりやすい解説

長谷川宗也
はせがわそうや

[生]天正18(1590)
[没]寛文7(1667).8.6.
桃山時代後期~江戸時代初期の画家。長谷川等伯の後妻の子。等伯には4男子がありそれぞれ画家として立ったが,宗也系統が最も長く続いた。しかし筆力は兄たちに劣る。遺作『布袋大黒天角力図』絵馬 (八坂神社) ,『柳橋水車図屏風』。

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世界大百科事典(旧版)内の長谷川宗也の言及

【長谷川派】より

…桃山~江戸時代の漢画派。長谷川等伯を祖とし,江戸初期までは画家名,作品とも知られているが,中期以降のことはあまり明らかでない。初代等伯とその子久蔵は,法華宗関係の仏画,肖像画,障壁画等のほか,禅宗関係の水墨画,頂相(ちんぞう),障壁画等にも腕を振るい,狩野派,海北派,雲谷派,曾我派と並び称された。大ぶりで豪華な桃山の金碧障屛画(きんぺきしようへいが)の中で,ひときわのびやかなフォルムと明快な色彩,金地感覚を表し,法華関係者や町衆に受け入れられたのみならず,公卿・武家の需要にも応ずる広い画作の幅を持っていた。…

※「長谷川宗也」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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