朝日日本歴史人物事典 「長谷川宗也」の解説
長谷川宗也
生年:天正18(1590)
江戸前期の画家。長谷川等伯の子(母は後妻の妙清か)。名は信正。俗名新之丞。父に絵を学び,長谷川派の一員として活躍したが,技量は久蔵,宗宅,左近ら他の兄弟に劣ると評されている。現存作に「柳橋水車図屏風」や八坂神社の「大黒布袋角力図絵馬」などがある。<参考文献>土居次義「長谷川宗也考」(『茶道雑誌』28巻7号)
(川本桂子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
(川本桂子)
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…桃山~江戸時代の漢画派。長谷川等伯を祖とし,江戸初期までは画家名,作品とも知られているが,中期以降のことはあまり明らかでない。初代等伯とその子久蔵は,法華宗関係の仏画,肖像画,障壁画等のほか,禅宗関係の水墨画,頂相(ちんぞう),障壁画等にも腕を振るい,狩野派,海北派,雲谷派,曾我派と並び称された。大ぶりで豪華な桃山の金碧障屛画(きんぺきしようへいが)の中で,ひときわのびやかなフォルムと明快な色彩,金地感覚を表し,法華関係者や町衆に受け入れられたのみならず,公卿・武家の需要にも応ずる広い画作の幅を持っていた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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