長谷川浩(読み)ハセガワ ヒロシ

20世紀日本人名事典 「長谷川浩」の解説

長谷川 浩
ハセガワ ヒロシ

昭和・平成期の作物学者 京都大学名誉教授。



生年
明治42(1909)年1月16日

没年
平成12(2000)年6月22日

出身地
岡山県岡山市

学歴〔年〕
京都帝大農学部農学科卒

学位〔年〕
農学博士

主な受賞名〔年〕
勲三等旭日中授章〔昭和55年〕

経歴
農林省に入省。鹿児島県でサツマイモ改良を担当。昭和17年同省農事試験場勤務時代、やせた土地でも育ち、収穫量の多い新品種「農林2号」の開発、育成に成功。戦中戦後の食糧難時代に寄与した。31年京都大学教授となり、農学部附属農場長を務めた。47年〜59年近畿大学教授、日本作物学会会長も務めた。


長谷川 浩
ハセガワ コウ

昭和期の社会運動家 元・日本共産党政治局員;労働運動研究所代表理事;統一労働者党全国委員。



生年
明治40(1907)年8月6日

没年
昭和59(1984)年2月25日

出身地
東京都

学歴〔年〕
東京帝大法学部中退

経歴
在学中の昭和5年日本共産党に入党。治安維持法などでたびたび検挙され終戦まで服役。戦後、党政治局員となったが、25年6月公職追放(レッドパージ)で徳田球一、伊藤律らとともに地下潜行した。35年のハガチー事件の際、指揮者として逮捕される。36年8月党指導部と対立して離党。42年共産主義労働者党に参加。56年統一労働者党を結成、全国委員となる。著書に「2・1スト前後と日本共産党」。遺稿に「占領下の労働運動」。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「長谷川浩」の解説

長谷川 浩
ハセガワ コウ


肩書
元・日本共産党政治局員,労働運動研究所代表理事,統一労働者党全国委員

生年月日
明治40年8月6日

出身地
東京都

学歴
東京帝大法学部中退

経歴
在学中の昭和5年日本共産党に入党。治安維持法などでたびたび検挙され終戦まで服役。戦後、党政治局員となったが、25年6月公職追放(レッドパージ)で徳田球一、伊藤律らとともに地下潜行した。35年のハガチー事件の際、指揮者として逮捕される。36年8月党指導部と対立して離党。42年共産主義労働者党に参加。56年統一労働者党を結成、全国委員となる。著書に「2・1スト前後と日本共産党」。遺稿に「占領下の労働運動」。

没年月日
昭和59年2月25日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長谷川浩」の解説

長谷川浩 はせがわ-ひろし

1909-2000 昭和-平成時代の作物学者。
明治42年1月16日生まれ。農林省にはいり,鹿児島県でサツマイモの品種改良にあたる。昭和17年,戦中戦後の食糧難解消に役だった多収穫品種「農林2号」を育成した。31年京大教授となり農学部付属農場長。作物学会会長をつとめた。平成12年6月22日死去。91歳。岡山県出身。京都帝大卒。

長谷川浩 はせがわ-こう

1907-1984 昭和時代の社会運動家。
明治40年8月6日生まれ。昭和5年共産党に入党。戦後は中央委員,政治局員となるが,25年徳田球一らとともに公職追放。36年党の新綱領に反対して除名される。56年統一労働者党を結成,全国委員。昭和59年2月25日死去。76歳。東京出身。東京帝大中退。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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