門戸開放・機会均等政策(読み)もんこかいほうきかいきんとうせいさく

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

1899年と1900年の再度アメリカが表明した対中国・極東基本政策。日清(にっしん)戦争を契機に1890年代後半、列強は競って中国へ進出、中国分割が日程に上った。アメリカは伝統的に「中国市場の夢」を抱き、実際90年代には対中貿易が急増したが、極東の危機を憂慮しつつも当面はキューバ問題に手を縛られたため、イギリスからの門戸開放協同行動の申入れをも退け、アメリカ・スペイン戦争に突入した。その結果フィリピン、グアムを獲得し、ハワイを併合して太平洋、東アジアの強国として立ち現れたアメリカは、本格的な中国進出に乗り出したが、中国はすでに列強によって租借地、勢力範囲、利益範囲に分割されており、アメリカの通商利害は脅威にさらされていた。

 このような状況下で、国務長官ジョン・ヘイは、1899年第一次通牒(つうちょう)をイギリス・ドイツ・ロシア(9月)、日本・イタリア・フランス(11月)に手交し、勢力範囲の事実を認めたうえで「門戸開放」と通商上の「機会均等」を要求した。さらに1900年、義和団の反帝国主義運動が高揚し北京(ペキン)の外国公館を包囲するや、列強は連合軍を派遣して義和団鎮圧に乗り出し、中国全領土の分割を策した。これに対してヘイは、同年7月第二次通牒を関係11か国に送り、中国の独立と領土的、行政的保全の維持の原則を提唱した。

 門戸開放政策は、経済的優越を背景に自由競争を通じて中国市場制覇を目ざす戦略であり、20世紀アメリカ極東政策の基本となったが、その実現は容易でなく、ワシントン会議の九か国条約(1922)によってようやく国際的に承認された。

[高橋 章]

『メイ編、中屋健一監訳『アメリカの外交』(1966・東京大学出版会)』

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