日本歴史地名大系 「関本宿」の解説
関本宿
せきもとしゆく
[現在地名]南足柄市関本
古代の関本辺
、陸奥目代解状到来」し、当宿で奥州の地頭などの所務について沙汰している(吾妻鏡)。承久の乱に敗れ幕府軍に捕らえられた藤原範茂は、鎌倉護送の途中、承久三年(一二二一)七月一八日、足柄峠を越え当宿に着くが、護送役の北条朝時に願い、宿近くの谷川に身を沈め一命を絶った(承久記)。貞応二年(一二二三)の「海道記」には宿の様子を「関下の宿をすぐれば、宅をならぶる住民は人をやどして主とし、窓にうたふ君女は客をとどめて夫とす、憐れむべし千年の契を旅宿一夜の夢に結び、生涯のたのしみを往還諸人の望にかく」と記す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報