律令制下では峠の東に相模国
北東の
のように、防人や役民として徴発される東国農民にとって詠嘆の場であった。昌泰二年(八九九)には関所が設置された(類聚三代格)。「堀河百首」に前斎院河内の「足柄の山のたうけにけふきてそ富士の高根の程はしらるる」を収める。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
神奈川と静岡の県境,箱根外輪山の一部をなす金時山の北斜面,いわゆる足柄山の山中にある峠。標高736m。江戸時代に箱根峠越えの東海道が設定される以前は,箱根越えの官道であった足柄路が通っていた。802年(延暦21)富士山の爆発による火山灰の降下堆積によって一時閉鎖されたが,翌年には復旧し,やがて足柄関が設けられた。峠には歓喜天をまつる聖天堂,金山神社,足柄関所跡,小田原城を守るために北条氏が築いた箱根十城の一つ足柄城跡がある。峠からの富士山,箱根カルデラの眺めがよい。
執筆者:大木 靖衛
《万葉集》では〈足柄の御坂〉ともいい,恐ろしい神の支配する峠とされ,そこでは秘密の心も打ち明けていわないではいられず,そこを越えることは神から〈御坂たまはる〉ことであった。地元民にはアワをまいたり木をきったりする生活の場であったが,東海道を西へ向かう坂より東の国々の人々には愛する家人(いえびと)との別れの呪術をする場所であった。東歌(あずまうた)は前者を,防人歌(さきもりうた)は後者を歌うことが多い。
執筆者:渡瀬 昌忠
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
神奈川県南足柄市と静岡県小山町(おやまちょう)との境界にある峠。標高759メートル。南方約5キロメートルに箱根外輪山の最高峰金時(きんとき)山(1212メートル)が望まれる。交通は上り下りとも箱根峠よりも容易。峠はカヤと低木に覆われるだけで見通しがよく、神奈川、静岡両県にわたる展望は雄大。802年(延暦21)富士山の噴火のためふさがれたが翌年復旧。平安時代の末、後三年の役のとき新羅三郎義光(しんらさぶろうよしみつ)が、おりからの中秋の名月の夜に、京から追ってきた家臣豊原時秋に笙(しょう)の奥義(おうぎ)を伝授した物語(現在も峠に新羅三郎笛吹の笛塚がある)をはじめ、『更級(さらしな)日記』の著者菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)ほか、公卿(くぎょう)、武士、文人ら数多くの通行史話が残され、ここに近い山間の寺堂には、平安・鎌倉時代の仏像の秀作もみられる。江戸時代には矢倉沢往還(やぐらさわおうかん)(東海道の脇(わき)往還)の通路となり、甲駿豆遠(こうすんずえん)地方から江戸向けの商人荷物の輸送にも利用された。東麓(とうろく)の矢倉沢に関所跡があり、矢倉沢、関本(南足柄市)と竹之下(小山町)は東西両麓の宿場としてにぎわっていた。明治以後は陸運会社による輸送が行われていたが、東海道本線(現、御殿場(ごてんば)線)の開通で峠の交通量は急減した。いまは東名高速道路の御殿場インターチェンジから車道が開け、さらに金時山、箱根(仙石原)へのハイキングコースも通じ、すばらしい展望が楽しめる。
[浅香幸雄]
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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