足柄峠(読み)あしがらとうげ

精選版 日本国語大辞典 「足柄峠」の意味・読み・例文・類語

あしがら‐とうげ ‥たうげ【足柄峠】

神奈川、静岡両県境の足柄山北端の峠。江戸時代には甲斐、駿河から江戸へ通じる矢倉沢(やぐらさわ)往還の要所として知られた。高さ七五九メートル。足柄の坂。

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日本歴史地名大系 「足柄峠」の解説

足柄峠
あしがらとうげ

箱根はこね外輪山金時きんとき(猪鼻山、一二一二・五メートル)から北に延びる稜線上に位置する標高七五九メートルの峠。竹之下たけのした・小山と神奈川県南足柄市矢倉沢やぐらさわとの間を結ぶ。かつては駿河・相模国境の峠で、古代から中世初頭には坂東と畿内を結ぶ官道(東海道足柄路)が通る交通の要衝で、足柄坂ともよばれる。「古事記」には倭建命が当峠を越えたとき、亡妻を偲んで「阿豆麻波夜」といったことが東国の地名由来であるとの伝承を載せ(景行天皇段)、「常陸国風土記」にも相模国の「足柄の岳坂」より東の諸県はすべて「我姫あづまの国」と称したとの記載があり、当峠は東国への入口と認識されていた。「万葉集」には「足柄の坂を過ぎて死れる人を見て作る」と詞書した田辺福麿の長歌(巻九)が載り、当時の峠越えの厳しさがうかがわれる。同集にはほかにも相模国の歌としてみえる「足柄の御坂畏み曇夜の吾が下延へを言出つるかも」(巻一四)や武蔵国埼玉さきたま郡上丁藤原部等母麿の歌(巻二〇)など、峠周辺の風景や旅人たちの心境を詠んだ歌も収められている。

律令制下では峠の東に相模国坂本さかもと(現神奈川県南足柄市)、西に駿河国横走よこはしり(所在は現御殿場市、あるいは小山町に比定される)の駅が置かれた。「延喜式」によると、坂本には駅馬二二疋、横走駅には駅馬二〇疋と伝馬五疋が置かれ、峠を控えた両駅ともに東海道では大駅であった。

足柄峠
あしがらとうげ

北東の矢倉やぐら(八七〇メートル)と南の金時きんとき(一二一二・五メートル)の中間にあり、標高七五九メートル、神奈川・静岡の県境をなし、頂上は静岡県に属する。古代から交通の要地であった。「古事記」に足柄の「其の坂に登り立ちて、三たび歎かして阿豆麻波夜と詔云りたまひき、故、其の国を号けて阿豆麻あづまと謂ふ」とある。「常陸国風土記」にも「古は、相模さがむの国足柄の岳坂やまさかより東の諸の県は、惣べて我姫あづまの国と称ひき」とある。「万葉集」には「足柄の御坂」「神の御坂」と詠まれ、

<資料は省略されています>

のように、防人や役民として徴発される東国農民にとって詠嘆の場であった。昌泰二年(八九九)には関所が設置された(類聚三代格)。「堀河百首」に前斎院河内の「足柄の山のたうけにけふきてそ富士の高根の程はしらるる」を収める。

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改訂新版 世界大百科事典 「足柄峠」の意味・わかりやすい解説

足柄峠 (あしがらとうげ)

神奈川と静岡の県境,箱根外輪山の一部をなす金時山の北斜面,いわゆる足柄山の山中にある峠。標高736m。江戸時代に箱根峠越えの東海道が設定される以前は,箱根越えの官道であった足柄路が通っていた。802年(延暦21)富士山の爆発による火山灰の降下堆積によって一時閉鎖されたが,翌年には復旧し,やがて足柄関が設けられた。峠には歓喜天をまつる聖天堂,金山神社,足柄関所跡,小田原城を守るために北条氏が築いた箱根十城の一つ足柄城跡がある。峠からの富士山,箱根カルデラの眺めがよい。
執筆者:

《万葉集》では〈足柄の御坂〉ともいい,恐ろしい神の支配する峠とされ,そこでは秘密の心も打ち明けていわないではいられず,そこを越えることは神から〈御坂たまはる〉ことであった。地元民にはアワをまいたり木をきったりする生活の場であったが,東海道を西へ向かう坂より東の国々の人々には愛する家人(いえびと)との別れの呪術をする場所であった。東歌(あずまうた)は前者を,防人歌(さきもりうた)は後者を歌うことが多い。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「足柄峠」の意味・わかりやすい解説

足柄峠
あしがらとうげ

神奈川県南足柄市と静岡県小山町(おやまちょう)との境界にある峠。標高759メートル。南方約5キロメートルに箱根外輪山の最高峰金時(きんとき)山(1212メートル)が望まれる。交通は上り下りとも箱根峠よりも容易。峠はカヤと低木に覆われるだけで見通しがよく、神奈川、静岡両県にわたる展望は雄大。802年(延暦21)富士山の噴火のためふさがれたが翌年復旧。平安時代の末、後三年の役のとき新羅三郎義光(しんらさぶろうよしみつ)が、おりからの中秋の名月の夜に、京から追ってきた家臣豊原時秋に笙(しょう)の奥義(おうぎ)を伝授した物語(現在も峠に新羅三郎笛吹の笛塚がある)をはじめ、『更級(さらしな)日記』の著者菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)ほか、公卿(くぎょう)、武士、文人ら数多くの通行史話が残され、ここに近い山間の寺堂には、平安・鎌倉時代の仏像の秀作もみられる。江戸時代には矢倉沢往還(やぐらさわおうかん)(東海道の脇(わき)往還)の通路となり、甲駿豆遠(こうすんずえん)地方から江戸向けの商人荷物の輸送にも利用された。東麓(とうろく)の矢倉沢に関所跡があり、矢倉沢、関本(南足柄市)と竹之下(小山町)は東西両麓の宿場としてにぎわっていた。明治以後は陸運会社による輸送が行われていたが、東海道本線(現、御殿場(ごてんば)線)の開通で峠の交通量は急減した。いまは東名高速道路の御殿場インターチェンジから車道が開け、さらに金時山、箱根(仙石原)へのハイキングコースも通じ、すばらしい展望が楽しめる。

[浅香幸雄]

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百科事典マイペディア 「足柄峠」の意味・わかりやすい解説

足柄峠【あしがらとうげ】

箱根外輪山の金時山から北にのび神奈川・静岡県境をなす支脈上にある峠。標高759m。古代の東海道が通じ,802年富士山の噴火で一時ふさがれ,このとき南方に箱根路が開かれた。翌年足柄路は復し,両路が用いられるようになり,899年関所が置かれるが,平将門が坂東を制したときこの関が固められた。一帯は足柄山と呼ばれ,万葉にもよまれ,伝説に富む。
→関連項目足柄関箱根峠

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「足柄峠」の意味・わかりやすい解説

足柄峠
あしがらとうげ

神奈川県南足柄市と静岡県小山町の境にある峠。箱根山の外輪山北端にある金時山の北方で越える。標高 759m。奈良時代の官道である足柄路が通り,平安時代中期には関所がおかれた。鎌倉時代以後も,南方の箱根峠を越える湯坂路に比べると迂回路であるが,勾配がゆるやかなために利用者が多かった。江戸時代には東海道の脇往還である矢倉沢往還の峠となり,東麓の矢倉沢に小田原藩の設けた関所跡がある。

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事典・日本の観光資源 「足柄峠」の解説

足柄峠

(神奈川県南足柄市)
関東・観光バスで行く名所100選」指定の観光名所。

足柄峠

(神奈川県南足柄市)
かながわの景勝50選」指定の観光名所。

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