日本歴史地名大系 「関本村」の解説
関本村
せきもとむら
- 神奈川県:南足柄市
- 関本村
東・北境を
近世は小田原藩領。寛永初期の小田原領西筋村々高ノ帳記載の石高五六〇石余に対して、天保郷帳では六五八石余に増加している。万治二年(一六五九)の検地帳写(区有文書)によれば、田四二町八反余、畑八町余、山畑三〇町五反余。甲州道・矢倉沢往還の宿駅として人馬の継立などを負担し、諸役として柿渋一斗五升を納めた(宝永五年「村明細帳」区有文書)。
関本村
せきもとむら
村高四千五〇〇石余の大村であったが、元禄期(一六八八―一七〇四)に上町一千五九五石余、中町二千九一九石余に二分され(元禄郷帳)、同一六年正月には、上町のうち一千二三三石余、中町の三八三石余(のちの上中町)が結城藩主水野勝長に与えられている(「水野隠岐守宛領知目録」水野家文書)。
関本村
せきもとむら
関本村
せきもとむら
関本村
せきもとむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報