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阿倍御主人 あべの みうし

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

阿倍御主人 あべの-みうし

635-703 飛鳥(あすか)時代の公卿(くぎょう)。
舒明(じょめい)天皇7年生まれ。阿倍広庭の父。持統天皇元年納言として天武天皇の死に際し弔辞をのべ,4年持統天皇の即位には,多治比島(たじひの-しま)とともに祝辞を奏上した。8年阿倍氏の氏上(うじのかみ)となり,以後阿倍氏を称した。のち大納言,右大臣となる。従二位。大宝(たいほう)3年閏(うるう)4月1日死去。69歳。本姓は布勢。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

阿倍御主人

没年:大宝3.閏4.1(703.5.20)
生年:舒明7(635)
7世紀後半から8世紀初めの官人,公卿。布勢麻呂古の子。広庭の父。はじめの姓は布勢朝臣。壬申の乱(672)では大海人皇子(のちの天武天皇)方で活躍し,朱鳥1(686)年天武天皇の崩御に際して太政官事を誄した。持統1(687)年には天武の殯宮に誄した。同4年持統天皇即位にあたり賀騰極を奏し,8年阿倍氏の氏上となってから阿倍朝臣の姓を賜り,文武4(700)年正広参を授けられる。大納言を経て大宝1(701)年従二位に昇り右大臣となる。

(今泉隆雄)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

あべのみうし【阿倍御主人】

635‐703(舒明7‐大宝3)
持統・文武朝の公卿。布勢麻呂古の子で,初め布勢御主人と称したが,694年(持統8)阿倍氏氏上となり,以後阿倍氏を称した。687年(持統1)納言として天武天皇の殯宮(もがりのみや)に誄(るい)を奉り,また690年持統天皇即位の際には多治比嶋(たじひのしま)とともに祝辞を奏上した。694年正広肆の位を授けられ,696年大納言となり,700年(文武4)正広参に昇叙,翌年正(冠)従二位を授けられて右大臣に任ぜられた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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世界大百科事典内の阿倍御主人の言及

【キトラ古墳(亀虎古墳)】より

…しかし1983年ファイバースコープによって石槨北壁に高松塚古墳壁画によく似た玄武(げんぶ)の描かれていることが知られ,他の四神などの画像の有無は不明であるが,その位置が高松塚古墳のほぼ真南で,やはり藤原京中軸線の南への延長線に近いことから注目を集めている。被葬者は現段階ではもちろん推測も困難であるが,古墳の所在地が〈阿部山〉であることから,703年(大宝3)69歳で没した右大臣阿倍御主人(みうし)とする説が提唱されている。【岸 俊男】。…

※「阿倍御主人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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