阿倍氏(読み)あべうじ

百科事典マイペディアの解説

阿部,阿閉,安倍,安部とも書き,大彦命(おおひこのみこと)の子孫と称する大族。大化改新左大臣阿倍倉梯麻呂(くらはしまろ)〔?-649〕,その子孫に阿倍比羅夫阿倍仲麻呂,陰陽(おんよう)家の安倍氏がある。なお陸奥の豪族となった安倍氏は,本来は蝦夷(えみし)の首長家の子孫とされる。→安倍晴明安倍貞任
→関連項目衣川平泉

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世界大百科事典 第2版の解説

古代の豪族。安倍とも記す。発祥地は大和国十市郡安倍(,奈良県桜井市)であろう。《日本書紀》では孝元天皇の皇子大彦命とし,《古事記》では大彦命の子建沼河別(たけぬなかわけ)命を祖とする。阿倍氏が政界に姿をあらわすのは,宣化天皇のとき,大臣蘇我稲目らの下で大夫(まえつぎみ)(大臣や大連に次ぐ地位)に任ぜられた阿倍大麻呂が最初である。大化改新の際には阿倍倉梯麻呂(くらはしまろ)は左大臣に任ぜられたが,それは彼が政界の長老であり,またその女小足媛(おたらしひめ)が孝徳天皇となっていたためであろうといわれる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

古代の豪族。安倍とも書く。『日本書紀』では孝元天皇(こうげんてんのう)の皇子大彦命(おおひこのみこと)を祖とするが、『古事記』では大彦命の子建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)を祖としている。崇神天皇(すじんてんのう)10年に大彦命を北陸に、武渟川別(たけぬなかわわけ)を東海に派遣したり、崇峻天皇(すしゅんてんのう)2年に阿倍臣(あべのおみ)を北陸道にやって越(こし)などの国境をみさせたこと、阿倍氏を伴造(とものみやつこ)とする丈部(はせつかべ)が東国、北陸に多く分布することからみると東国、北陸の経営と関係深い氏族のようである。また同族に供膳(きょうぜん)と関連のある氏族をもつことや伝承などから、後の大嘗祭(だいじょうさい)に移行した新嘗(にいなめ)、服属儀礼に従事したことが知られる。宣化朝(せんかちょう)以降、蘇我大臣(そがのおおおみ)のもとで大夫(まえつきみ)として政治に参加し、大化改新のときに阿倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)は左大臣となっている。684年(天武天皇13)に朝臣(あそん)の姓(かばね)を賜った。布勢(ふせ)、引田(ひけた)、許曽倍(こそべ)、狛(こま)などのいくつかの家に分かれる。有名な阿倍比羅夫(ひらふ)は引田氏系の人物であり、平安時代の陰陽家(おんみょうけ)の阿倍氏は布勢氏の流れをくむといわれる。[志田諄一]

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旺文社日本史事典 三訂版の解説

奈良〜平安時代の有力貴族
「安倍氏」とも書く。孝元天皇の子孫(皇別氏族)といわれ,倉梯麻呂 (くらはしまろ) ・比羅夫・仲麻呂らを出し,平安中期以後は陰陽道 (おんみようどう) の家として栄えた。

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世界大百科事典内の阿倍氏の言及

【丈部】より

…連,直の姓をもつものは,東国の地方豪族であったらしく,下野国河内郡上神主廃寺の瓦を寄進している知識(連姓)や下総国印幡郡大領(直姓),武蔵国足立郡出身の同国国造(直姓)などがみえる。丈部は阿倍氏の部民であったとされ,〈はせつかう〉の意味で丈部を名のらされたのだといわれている。丈部氏と阿倍氏とは密接なつながりがあったらしく,8世紀には,しばしば丈部氏に阿倍氏への改氏がみとめられている。…

※「阿倍氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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