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阿坂城 あざかじょう

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日本の城がわかる事典の解説

あざかじょう【阿坂城】

三重県松阪市にあった南北朝時代から戦国時代末期にかけての山城(やまじろ)。標高321m・比高約250mの尾根上に築かれていた城である。南北朝時代に築かれたもので、南北約300m・東西約150mの城域をもち、南北2つの郭から構成された城郭である。阿坂城の名前は1351年(文和1)の南北朝の争乱を伝える資料に初めて登場する。南北朝時代の初めに南朝方の城ないしは砦としてつくられたと考えられている。その後、応永年間(1394~1428年)に、南朝方の伊勢国の国司北畠満雅により、本格的な城塞として整備された。『南方紀伝』によれば、阿坂城には2つの出城があったという。この2つの出城は枳(からたち)城と高城城と考えられているが、その2つの城跡はそれぞれ国指定史跡となっている。1415年(応永22)、満雅はこの城に籠城して、足利幕府軍(北朝方)を迎え撃った。堅固な阿坂城に対して攻囲を行う幕府軍は、阿坂城の水の手を断つ作戦に出た。『南方紀伝』は、このとき満雅は馬の背に白米を流して、馬を洗うほどの豊富な水があるかのように見せかけ、幕府軍を撃退したと記している。これが阿坂城を白米城ともよぶ由来である。戦国時代、伊勢への侵攻を活発化させていた織田信長は、1569年(永禄12)、大河内城の北畠具教を攻略するため大軍を発して伊勢を攻撃した。信長は、その前哨戦として、木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)に命じて、北畠氏の重臣大内氏の守る阿坂城を攻めさせ攻略した。占領後、阿坂城は使用されることなく、廃城となった。現在、城山の山頂付近に曲輪(くるわ)や土塁・堀切、竪堀、横堀の遺構が残っている。JR紀勢本線松阪駅からバス、岩倉下車。◇椎の木城、白米城ともよばれる。

出典|講談社
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