銭(ぜに)の異名。「阿堵」は中国の晋(しん)・宋(そう)代の俗語で、「これ」「あの」などを意味し、「阿堵物」は、直接その物の名をいうのをはばかって、「あんなもの」「こんなもの」の意で用いられた。そして、後漢(ごかん)末から東晋(とうしん)にかけての名士の逸話集『世説(せせつ)新語』(宋の劉義慶(りゅうぎけい)編)の故事によって、銭の異称となった。同書「規筬(きしん)」上編に、晋の王衍(おうえん)(字(あざな)は夷甫(いほ))は性高雅で、妻の貪欲(どんよく)なのを憎み、かつて銭の字を口にしたことがなかった。そこで妻は夫を試そうと、下女に命じて、夫の寝室に銭をまき散らさせておいたが、朝目覚めた王衍は銭を見るや、下女をよんで「阿堵物をかたづけろ」と命じた、とある。
[田所義行]