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末広鉄腸 すえひろてっちょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

末広鉄腸
すえひろてっちょう

[生]嘉永2(1849).2.21. 宇和島
[没]1896.2.5. 東京
ジャーナリスト。本名は重恭。 1875年『あけぼの』 (のち『東京曙新聞』) の編集長となり,6月に公布された新聞紙条例讒謗律を激しく批判して禁錮刑を受けた。この事件で『東京曙新聞』をやめて『朝野新聞』に移って編集長を務めた。 1881年 10月,自由党結党とともに入党。自由党機関紙の『自由新聞』の社説を担当したが,党首板垣退助外遊費問題で板垣と衝突し,辞職。自由党も脱党した。 1889年村山龍平に招かれて『東京公論』の主筆となり,その後もジャーナリズム活動を続けたが,しだいに国家主義に傾き,1890年と 1894年の2回,立憲改進党から衆議院議員に当選した。文才も豊かで,1886年の『雪中梅』,1887年の『花間鶯』などの政治小説や,回顧録的な『新聞経歴談』も有名。

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百科事典マイペディアの解説

末広鉄腸【すえひろてっちょう】

新聞記者,政治小説家。宇和島藩出身。本名重恭(しげやす)。藩校の明倫館に学び,その教授となった。1875年以後《曙新聞》《朝野新聞》等の主筆となり,自由民権を主唱。
→関連項目自由新聞政治小説東京曙新聞成島柳北

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

末広鉄腸 すえひろ-てっちょう

1849-1896 明治時代の新聞記者,政治家,小説家。
嘉永(かえい)2年2月21日生まれ。明治8年「曙(あけぼの)新聞」,9年「朝野新聞」で政府批判をおこなう。14年自由党結成に参加,のち離党。23年第1回総選挙で衆議院議員(当選2回)。この間政治小説「雪中梅」「花間鶯(かかんおう)」を刊行した。明治29年2月5日死去。48歳。伊予(いよ)(愛媛県)出身。本名は重恭(しげやす)。別号に浩斎。
【格言など】父子の親愛すらない者が,社会の為めに一身を犠牲にする事が出来るものか(「雪中梅」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

末広鉄腸

没年:明治29.2.5(1896)
生年:嘉永2.2.21(1849.3.15)
明治前期のジャーナリスト,小説家,政治家。伊予国(愛媛県)宇和島に生まれる。本名は重恭。藩校明倫館に学び,その教授となる。廃藩置県後,愛媛県の役人になるが,明治7(1874)年に上京し,大蔵省に勤める。8年『曙新聞』に入社し,編集長となり,鉄腸を号す。同年7月新聞紙条例を紙上で攻撃し,禁錮2カ月,罰金20円という最初の筆禍者となる。同年10月『朝野新聞』に移り,編集長となるが,9年2月,井上毅,尾崎三良を誹謗したとして,讒謗律違反で禁獄8カ月,罰金150円の刑を受けた。そのとき社長成島柳北も投獄された。以後,硬骨のジャーナリストとして人気を高め,柳北とのコンビで『朝野新聞』の地位を上昇させた。14年に板垣退助が自由党を結成すると入党し,幹部として党機関紙『自由新聞』の社説を担当した。15年板垣洋行問題で,板垣ならびに自由党から離れた。しかし『朝野新聞』には在社し,健筆をふるった。19年『雪中梅』,20年『花間鶯』などの政治小説を刊行した。21年欧米をまわり,翌22年3月村山竜平創刊の『東京公論』に入り,さらに『国会』の主筆となる。23年に第1回衆院議員選挙に愛媛6区に自由党から出て当選。まもなく自由党を脱党。その後2回の落選を経て,27年に当選。

(山本武利)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

すえひろてっちょう【末広鉄腸】

1849‐96(嘉永2‐明治29)
明治初期の小説家,政治家。伊予国宇和島生れ。本名重恭(しげやす)。別に子倹,浩斎の異称がある。藩校明倫館に学び,藩校教授,官吏を経て1875年《曙新聞》編集長となるが,新聞紙条例批判により禁獄,成島柳北の《朝野新聞》に移っても筆禍により投獄される。81年自由党結成に尽力したが板垣退助の外遊を批判して83年脱党。病に悩みつつ86年《雪中梅》,翌年《花間鶯(かかんおう)》等の政治小説を刊行し,また大同団結運動を推進した。

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大辞林 第三版の解説

すえひろてっちょう【末広鉄腸】

1849~1896) 政治家・新聞記者・小説家。伊予の人。本名、重恭しげやす。政治活動のかたわら「二十三年未来記」「雪中梅」「花間鶯」などの政治小説を発表した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

末広鉄腸
すえひろてっちょう
(1849―1896)

政治家、小説家。本名重恭(しげやす)。伊予(いよ)国(愛媛県)宇和島の生まれ。漸進的な自由民権論者で、官民調和、立憲政党政治の確立を説き、自由党、改進党の大同団結を図った。言論人として『朝野新聞(ちょうやしんぶん)』(1874~1911)、『国会』(1890~1895)などで活躍した。小説には、政治青年の理想と恋愛を写実的に描き、政治的啓蒙(けいもう)を意図した『雪中梅』(1886)のほか、『二十三年未来記』(1886)などがある。[浅井 清]
『『明治文学全集6 明治政治小説集 2』(1967・筑摩書房) ▽柳田泉著「末広鉄腸研究」(『政治小説研究 中巻』所収・1974・春秋社) ▽真辺美佐著『末広鉄腸研究』(2006・梓出版社)』

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世界大百科事典内の末広鉄腸の言及

【自由新聞】より

…これに対抗して,自由党が新たに日刊新聞として発行したのが,《自由新聞》である。株式会社組織として同志から資金を募集し,編集・発行には社長の板垣退助以下馬場辰猪,中江兆民,田口卯吉,末広鉄腸(重恭)など自由党の有力活動家,理論家が当たった。藩閥政府や政商,改進党などを攻撃し,自由民権運動を鼓吹する紙面づくりで自由党の支持者に広く読まれた。…

【政治小説】より

…《佳人之奇遇》についであらわれた政治小説は,民権運動の敗北と国会開設への楽天的な期待を背景に,政治的主張はうすめられ,写実的な傾向が目立つようになった。この人情的,風俗的な傾向の作品としては,末広鉄腸の《政治小説 雪中梅》(1886)がよく知られている。政治小説は,古風な漢文調の文体や類型的な人物描写を脱しきれなかったために,自由民権運動が終息した90年ごろから急速にジャンルとしての活力を失っていく。…

【朝野新聞】より

…日刊。最盛期は,社長の成島柳北(なるしまりゆうほく)がコラム〈雑録〉で,主筆の末広鉄腸が論説で藩閥政府を風刺,痛罵した自由民権期であり,民権派の新聞として81年には日刊部数1万を超え,政論新聞第1位を誇った。成島の死亡や民権運動の衰退とともに急速に衰えた。…

【東京曙新聞】より

…前身は1871年(明治4)創刊の《新聞雑誌》であったが,75年1月に《あけぼの》と改題され,さらに6月に《東京曙新聞》と再改題された。西南戦争前後には民権派の有力紙に数えられ,新聞紙条例による筆禍者第1号は同紙の主筆末広鉄腸であった。しかし自由民権期に入ると,内紛などによって衰退し,82年2月に《東洋新報》と改題されたが,同年12月に廃刊した。…

※「末広鉄腸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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