降旗元太郎(読み)フルハタ モトタロウ

20世紀日本人名事典 「降旗元太郎」の解説

降旗 元太郎
フルハタ モトタロウ

明治〜昭和期の政治家,実業家 衆院議員(民政党);信濃日報社長;帝国蚕糸取締役。



生年
元治1年5月(1864年)

没年
昭和6(1931)年9月15日

出生地
信濃国東筑摩郡本郷村(長野県)

学歴〔年〕
東京専門学校卒

主な受賞名〔年〕
従四位勲二等

経歴
明治19年本郷蚕種業組合を創立し、組合長。当時農商務省は繊維の細い秋蚕が米国で不評として、廃止の方針を出したが、抗争2年後、同省の非を認めさせた。以来東筑農事政良会長、信濃蚕業伝習所長、帝国蚕糸取締役などを歴任。一方扶桑新報、内外新報など新聞を発行、信濃日報社長となる。その間長崎県会議員、同参事会員を経て、29年普選期成同盟会を組織、31年以来長野県から衆院議員当選11回。山下倶楽部専任幹事を経て、憲政会結成に尽くし幹事。のち陸海、鉄道政務次官、立憲民政党顧問を歴任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「降旗元太郎」の解説

降旗 元太郎
フルハタ モトタロウ


肩書
衆院議員(民政党),信濃日報社長,帝国蚕糸取締役

生年月日
元治1年5月(1864年)

出生地
信濃国東筑摩郡本郷村(長野県)

学歴
東京専門学校卒

経歴
明治19年本郷蚕種業組合を創立し、組合長。当時農商務省は繊維の細い秋蚕が米国で不評として、廃止の方針を出したが、抗争2年後、同省の非を認めさせた。以来東筑農事政良会長、信濃蚕業伝習所長、帝国蚕糸取締役などを歴任。一方扶桑新報、内外新報など新聞を発行、信濃日報社長となる。その間長崎県会議員、同参事会員を経て、29年普選期成同盟会を組織、31年以来長野県から衆院議員当選11回。山下倶楽部専任幹事を経て、憲政会結成に尽くし幹事。のち陸海、鉄道各政務次官、立憲民政党顧問を歴任した。

受賞
従四位勲二等

没年月日
昭和6年9月15日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「降旗元太郎」の解説

降旗元太郎 ふるはた-もとたろう

1864-1931 明治-昭和時代前期の政治家。
元治(げんじ)元年5月生まれ。郷里の長野県で養蚕製糸業発展につとめ,明治19年「信陽日報」(のちの「信濃(しなの)日報」)の創刊にかかわる。長野県会議員をへて31年衆議院議員(当選11回,民政党)。陸軍,鉄道,海軍の政務次官をつとめた。昭和6年9月15日死去。68歳。東京専門学校(現早大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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