難田村(読み)なだむら

日本歴史地名大系 「難田村」の解説

難田村
なだむら

[現在地名]備前市穂浪ほなみ

南は海に面し、友延とものぶ村の南方に位置する。慶長一八年(一六一三)和気郡御勘定帳に「灘田村」とみえ、物成五三石余・夫米二石余。寛永五年(一六二八)検地では朱印高六八石余のほか改出高二二石余(貞享元年「和気郡高目録」池田家文庫)。なお寛永備前国絵図には「灘田村」とあり、正保郷帳には難田村として枝村木部きぶ(木生)があげられる。寛文元年(一六六一)から同四年にかけて東側に井田いた新田が開かれた。享保六年(一七二一)には田畠二三町三反余、家数二三九・人数一千七〇〇、小猟船から六反帆まで一八二艘、池六ヵ所があった(備陽記)

当村は加子浦に指定されており、正徳二年(一七一二)の加子浦役覚(日生漁業協同組合蔵)によると、「道行」といって藩主参勤交代や朝鮮通信使の往来などに出役の義務を負った。また日生ひなせ諸島(現和気郡日生町)から沖合にかけてを漁場とする漁村で、烏賊引網や鯔敷網を使って操業していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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