雲章一慶(読み)うんしょういっけい

改訂新版 世界大百科事典 「雲章一慶」の意味・わかりやすい解説

雲章一慶 (うんしょういっけい)
生没年:1386-1463(元中3・至徳3-寛正4)

室町時代臨済宗聖一派の禅僧。一条兼良の兄。東福寺の岐陽方秀(ぎようほうしゆう)らに学び,南都で華厳・法相2宗をも学んだ。1430年(永享2)普門寺の住持となったとき,東福寺開山円爾の直弟奇山円然(きざんえんねん)(故人)の法を継ぐことを宣言,のち東福寺,南禅寺に昇住した。禅林綱紀粛正につとめ,五山の僧等に《勅修百丈清規》を講じた。桃源瑞仙(とうげんずいせん)によるその抄録が《雲桃抄》である。学問は儒仏2教にわたり,とくに朱子学を好んだ。
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朝日日本歴史人物事典 「雲章一慶」の解説

雲章一慶

没年寛正4.1.23(1463.2.11)
生年至徳3/元中3.5.12(1386.6.9)
室町時代の臨済宗の僧。諡号は弘宗禅師。山城(京都府)の人。足利家の指南役一条経嗣の子。6歳のときに父の建立した山城成恩寺に入り,開山の奇山円然の法を嗣いだ。東福寺で首座を勤め,永享2(1430)年山城普門寺の住持となる。同6年には伏見宮貞成親王に招かれ,離宮にて『元亨釈書』を講じた。嘉吉1(1441)年東福寺の第132世となり,宝徳1(1449)年南禅寺(第172世)に昇住,退去したのちは,東福寺内に宝渚庵を構えて『敕修百丈清規』の講義を行った。これを桃源瑞仙が筆録したものが『雲桃抄』である。<著作>『敕修百丈清規雲桃抄』『五燈一覧図』

(石井清純)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「雲章一慶」の解説

雲章一慶 うんしょう-いっけい

1386-1463 室町時代の僧。
至徳3=元中3年5月12日生まれ。一条経嗣(つねつぐ)の子。臨済(りんざい)宗。岐陽方秀にまなぶ。永享2年普門寺にはいり,奇山円然(えんねん)の法をつぐ。東福寺をへて宝徳元年南禅寺住持となる。晩年横川景三,万里集九らに「勅修百丈清規(しんぎ)」を講義し,桃源瑞仙が「雲桃抄」としてまとめた。寛正(かんしょう)4年1月23日死去。78歳。号は宝清老人,流芳。諡号(しごう)は弘宗禅師。

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367日誕生日大事典 「雲章一慶」の解説

雲章一慶 (うんしょういっけい)

生年月日:1386年5月12日
室町時代の臨済宗の僧
1463年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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