日本歴史地名大系 「霹靂神社」の解説 霹靂神社へきれきじんじや 広島県:豊田郡本郷町船木村霹靂神社[現在地名]本郷町船木 中之谷船木(ふなき)の南東部、沼田(ぬた)川流域に広がる低地部の北側丘陵に鎮座し、明治四五年(一九一二)香久山(かぐやま)太神宮(香久山神社)に、字中野坪(なかのつぼ)にあった霹靂神社を合併して社号を霹靂神社と改称した。旧香久山太神宮は、祭神は豊宇気毘売神・天照大神・天手力男命、相殿に大山津見命など一二神を祀り、神亀二年(七二五)に創建、正安三年(一三〇一)に小早川氏が再建し三二石を付したと伝え、「芸藩通志」は、「安芸国神名帳」にみえる沼田郡伊勢香山(いせかやま)明神に比定。建長四年(一二五二)一一月日付の安芸沼田本庄方正検注目録写(小早川家文書)の仏神田のうちにみえる「香子山三反」は同社と考えられる。 霹靂神社へきれきじんじや 長崎県:上県郡上対馬町浜久須村霹靂神社[現在地名]上対馬町浜久須朝日山(あさひやま)古墳の傍らに鎮座。旧村社。祭神は雷大臣命・日本大臣命・磯武良。拝殿は東の海辺にあり、あたかも古墳を神体としているかにみえる。貞享三年(一六八六)の神社誌では熊野三社権現として、神体は鏡のごとき平らなものと記される。これは懸仏で現在一四〇面余が伝蔵され、室町初期より中期頃のものが多く、当時の信仰ぶりがうかがえる。宝永六年(一七〇九)「豊崎郷浜久須村権現」の神主職が古藤氏に安堵された(「宗義方朱印状」豊崎郷給人等判物写)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by