静観房好阿(読み)じょうかんぼうこうあ

精選版 日本国語大辞典 「静観房好阿」の意味・読み・例文・類語

じょうかんぼう‐こうあジャウクヮンバウカウア【静観房好阿】

  1. 江戸中期の談義本作者。家系閲歴不明。一説に、浄土宗談義僧で、還俗して一時大坂医者を業としたともいう。元文五年(一七四〇)から明和九年(一七七二)にかけて八編の刊本がある。特に「当世(いまよう)下手談義」は江戸戯作発生の布石となった作品で、伊藤単朴らに直接的な影響を与えた。生没年未詳。

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朝日日本歴史人物事典 「静観房好阿」の解説

静観房好阿

生年:生没年不詳
江戸時代の談義本作者。はじめは摩志田好話,静観堂好話と名乗って,『御伽空穂猿』などの奇談小説を刊行したが,その後,宝暦2(1752)年に『当世下手談義』,翌年に『教訓続下手談義』を著し,狭義の談義本の開祖とされる。好阿には,この談義本2冊を含み,合わせて8冊の著述がある。『当世下手談義』は,狭義の談義本の出発点であるというだけでなく,以後の江戸戯作活況の契機ともなった。また,建部綾足をはじめ,談義本作者伊藤単朴,仏教長編説話作者西向庵春帳子などとの関係も指摘されている。その素性については,江戸両国の淡雪豆腐屋日野屋の隣に住む手習師匠山本善五郎であるという説,また,律宗から浄土宗に転じた談義僧が還俗し,大坂薩摩堀の医師積慶堂徳孤子となり,その後諸国を経歴,元文(1736~41)ごろから江戸で著述をなし,宝暦(1751~64)半ばごろには京都へ帰った人物であるという説などがある。

(樫澤葉子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「静観房好阿」の解説

静観房好阿 じょうかんぼう-こうあ

?-? 江戸時代中期の戯作(げさく)者。
宝暦2年刊行の「当世下手(いまようへた)談義」は談義本流行の先駆けとなった。経歴は江戸で手習師匠をしていた山本善五郎,あるいは大坂の医師積慶堂徳孤子という説があり,明和6年(1769)4月2日,72歳で死去したともいわれる。別号に摩志田好話(ましだ-こうわ),静観堂好話。著作はほかに「怪談御伽童(おとぎわらわ)」「豊年珍話談」など。

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世界大百科事典(旧版)内の静観房好阿の言及

【当世下手談義】より

…談義本。静観房好阿(じようかんぼうこうあ)作。1752年(宝暦2)刊。…

※「静観房好阿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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