須義神社(読み)すぎじんじや

日本歴史地名大系 「須義神社」の解説

須義神社
すぎじんじや

[現在地名]出石町荒木

すげ川の左岸荒木あらき集落北部の山腹にある。多遅麻毛理(田道間守)の姪とされる菅竈由良度美神を祭神とし、誉田別命を併祭する。旧郷社。当地を含む菅川の流域は一般に菅谷とよばれ、中世には山城石清水いわしみず八幡宮菅庄の庄域であった。現在地には菅庄の鎮守として八幡宮が祀られていたが、寛喜年間(一二二九―三二)に菅川対岸の細見ほそみに祀られていた当社(旧地は現在の古須義神社の境内という)を移して併祭したと伝える。以後は八幡宮とよばれ、近代になって現社名に改称、現在も「八幡さん」の通称で親しまれている。「延喜式」神名帳にみえる出石郡の「須義スキノ神社」に比定され、また「義」の字を「げ」と読んで、貞観一〇年(八六八)閏一二月二一日に正六位上から従五位下に神階が昇叙した但馬国の「菅神」(三代実録)を当社とみる説もある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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