頼富実毅(読み)ヨリトミ ジツキ

20世紀日本人名事典 「頼富実毅」の解説

頼富 実毅
ヨリトミ ジツキ

明治・大正期の僧侶 真言宗勧修寺派大僧正;大本山勧修寺門跡;本山寺住職



生年
弘化3年(1846年)

没年
大正5(1916)年6月21日

出生地
讃岐国大川郡富田村(香川県)

経歴
11歳で仏門に入り、阿弥陀寺・実乗に従って出家、16歳で白峰寺貫主・剛成に従い伝法入壇した。ついで佐伯旭雅雲照、龍暢に師事漢学藤沢南岳に学んだ。帰って讃岐本山寺の住職となり、明治15年高松高野山出張所惣係、讃岐宗門管理を経て、44年権大僧正となり、大正2年京都山科の大本山勧修寺門跡を務める。讃岐中学林の創立、高野山大学の建築、津田の法道寺新寺の開基、本山寺五重塔の建築などに尽力した。また方位学にも精通し指示を請う者が多かった。大正5年没後に大僧正を授与

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「頼富実毅」の解説

頼富実毅 よりとみ-じつき

1846-1916 明治-大正時代の僧。
弘化(こうか)3年生まれ。真言宗。11歳で出家し佐伯旭雅,雲照,竜暢に師事。また漢学を藤沢南岳(なんがく)にまなぶ。讃岐(さぬき)(香川県)本山(もとやま)寺の住職となり,明治44年権(ごんの)大僧正,大正2年京都勧修寺(かじゅうじ)門跡(もんぜき)。高野山大,本山寺五重塔の建築などに尽力した。大正5年6月21日死去。71歳。讃岐出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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