顔戸村(読み)ごうどむら

日本歴史地名大系 「顔戸村」の解説

顔戸村
ごうどむら

[現在地名]近江町顔戸

高溝たかみぞ村の南東、天野あまの川北岸に位置。日撫ひなで(約二〇九メートル)の西麓にあたり、同山の尾根上に日撫山古墳がある。集落は本郷・きた村・かみ郷・まつ村の四つに分れ、神郷は中世朝妻あさづま庄内の一郷であった神郷の遺称地とみられる。応永二二年(一四一五)一一月一八日の今井某田地売券(井戸村文書)に「法勝寺御領内神郷」とみえ、同二五年二月一日の比丘尼正益筆田地帳(同文書)に「神郷開田二反、神郷下田一反」などとある。また同帳によれば「神郷御タラシ」の地には日撫神社の油米料が課せられている。「蔭涼軒日録」寛正二年(一四六一)九月二四日条には「朝妻庄神郷」とみえ、京都南禅寺芝玉軒の末寺で神郷内にある真門寺および同寺領を文安四年(一四四七)より籾井氏が横領していると訴えている。


顔戸村
ごうどむら

[現在地名]飯山市大字寿ことぶき

黒岩くろいわ(九三八メートル)の東麓にあり標高三四〇メートル、外様平とざまだいら西側ほぼ中央を占める村。黒岩山東麓から北方へ、かつら池・平丸ひらまる峠を通過、現新潟県新井あらい市平丸へ出、同県上越市へ通じる道筋の入口にあたる。平丸峠は富倉とみくら峠・関田せきだ峠に次ぐ信越交通の要衝。黒岩山頂にも二郭と四空堀を有する山城がある。これより中条ちゆうじよう城に至るまで一連の山城がある。

天文一七年(一五四八)下諏訪秋宮造宮帳に秋宮一之大鳥居造宮料として「合米三石 神戸之郷 取手小口民部丞」とあるのが初見。


顔戸村
ごうどむら

[現在地名]御嵩町顔戸

比衣ひえ村の東と南にあり、東はなか村・古屋敷ふるやしき村。北部は丘陵地で、中央部平坦地を可児川が西流する。川沿いを中山道が通る。「和名抄」の可児郡郡家ぐんけ郷は当地に比定される。同郷は平安期には明知あけち庄の一部を構成しており、承暦二年(一〇七八)一二月二二日の大宰大弐宅解并左京職等証判(石清水文書)明知庄の範囲を可児郡の曰理わたり・郡家両郷と記す。慶長郷帳では幕府領の明知村一千八〇七石余のうちに含まれ、元和二年(一六一六)の村高領知改帳では尾張藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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