顧野王(読み)コヤオウ

デジタル大辞泉 「顧野王」の意味・読み・例文・類語

こ‐やおう〔‐ヤワウ〕【顧野王】

[519~581]中国南北朝時代学者。呉(江蘇省)の人。あざな希馮きふう南朝りょうに仕え、博学で、経史・天文地理に明るかった。「玉篇ぎょくへん」30巻を撰。他に「輿地志よちし」「文集」など。

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精選版 日本国語大辞典 「顧野王」の意味・読み・例文・類語

こ‐やおう‥ヤワウ【顧野王】

  1. 中国、南朝陳の学者。字(あざな)は希馮。呉郡呉(蘇州)の人。梁の滅亡後、陳に仕えて、黄門侍郎、光祿卿に進む。著書に「玉篇」「輿地誌」など。(五一九‐五八一

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改訂新版 世界大百科事典 「顧野王」の意味・わかりやすい解説

顧野王 (こやおう)
Gù Yě wáng
生没年:519-581

中国,梁・陳2代に仕えた学者。字は希馮,呉郡呉(蘇州)の人。祖父,父とも梁に仕え,父は学者としても著名であった。幼いころから才能を認められ,長じては万能をうたわれた。陳になっても引きつづいて重用され,黄門侍郎・光禄卿,知五礼事となり,死後秘書監を,3年後には右衛将軍の官を贈られた。《玉篇》30巻,《輿地志》30巻等の著書があったが,いずれも原本が伝わらない。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「顧野王」の意味・わかりやすい解説

顧野王
こやおう
Gu Ye-wang

[生]天監18(519)
[没]太建13(581)
中国,南朝の梁,陳の学者。呉 (江蘇省蘇州) の人。梁の大学博士,陳の国子博士となり,国史の編纂を総管した。博覧の学者で撰著も多いが,字書の『玉篇』は特に有名で,原本は散逸したが,唐,宋代に重修されて清代にいたるまで広く用いられた。

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世界大百科事典(旧版)内の顧野王の言及

【文字学】より

…このあと,晋に呂忱の《字林》があって,同じく540部に分けたといわれるが現存しない。梁の顧野王(こやおう)の《玉篇》がこの系統をうけてはいるが,注解は本義にかぎらず,広く用例を古書に求めている点,後世の字書の注解に近い。 南北朝に入ると,インドの音韻学の知識が中国に紹介されるとともに,韻文の流行が字音の研究を促した。…

※「顧野王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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