(読み)ヒネ

デジタル大辞泉 「陳」の意味・読み・例文・類語

ひね【陳/老成】

古くなること。また、そのもの。
「―になった麺麭菓子」〈三重吉・小鳥の巣〉
前年以前に収穫した穀物や野菜。「―米」
老成していること。ませていること。また、その人。
[類語]古めかしい古い古臭い陳腐中古かび臭い古びる古ぼける時代遅れ流行遅れ古風昔風旧式旧弊前近代的旧態依然オールドファッションださい年代物時代錯誤古色古色蒼然蒼然旧態使い古し陳套ちんとう旧套きゅうとうひね臭い時代掛かる時代めく昔ながら蒼古年季が入るレトロアナクロアナクロニズムアウトオブデートオールドタイマー

ちん【陳】

中国国名
春秋時代列国の一。強国にはさまれた侯国で、都は宛丘(河南省淮陽県)。前478年、に滅ぼされた。
南北朝時代の、南朝最後の国。557年、武将陳覇先が敬帝の禅譲を受けて建国。都は建康(南京)。589年、楊堅(文帝)に滅ぼされた。

ちん【陳】[漢字項目]

常用漢字] [音]チン(漢) [訓]つらねる ならべる のべる ふるい
平らに並べる。つらねる。「陳列
申し述べる。「陳謝陳述陳情開陳具陳
古い。「陳腐新陳代謝
[名のり]かた・つら・のぶ・のぶる・のり・ひさ・むね・よし
[難読]陳者のぶれば

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精選版 日本国語大辞典 「陳」の意味・読み・例文・類語

ひね【陳】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 古くなること。売れ残ること。また、そのもの。〔名語記(1275)〕
    1. [初出の実例]「餡の黒い、陳物(ヒネ)になった麺麭菓子」(出典:小鳥の巣(1910)〈鈴木三重吉〉上)
  3. ( 晩稲 ) おくての稲。〔十巻本和名抄(934頃)〕
  4. 古くなった穀物や野菜。特に、前年以前に収穫した穀物。ひねごめ。〔志不可起(1727)〕
    1. [初出の実例]「ふやして釜わるのなら、モ一つ三年米(ヒネ)にしなされ」(出典:滑稽本・人情穴探意の裡外(1863‐65頃)二)
  5. 大人びていること。老成していること。ませていること。こましゃくれていること。また、その人。ませ。

ちん【陳】

  1. 中国の国名。
  2. [ 一 ] 西周・春秋時代に河南・安徽の一部を占めた小国。周の武王が舜の子孫を封じたのに始まる。紀元前四七八年、二四代で楚に滅ぼされた。
  3. [ 二 ] 南北朝時代の南朝最後の王朝五五七‐五八九)。創建者は陳覇先(武帝)。首都は建康(南京)。隋の文帝により五代で滅亡。

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普及版 字通 「陳」の読み・字形・画数・意味


常用漢字 11画

[字音] チン
[字訓] つらねる・のべる・ひさしい

[説文解字]
[金文]

[字形] 会意
(ふ)+東(とう)。東は(たく)の象形字。神の陟降する神梯()の前に、多くの(ふくろ)を陳設して祀る形。〔説文〕十四下に「宛丘なり。の後、滿(きまん)の封ぜられしなり」とし、「に從ひ、木に從ひ、申(しん)の聲なり」とするが、申声説は古文の形によっていうもので、字の本形ではない。金文にの二形があり、田斉の陳氏は、舜の後である陳・の陳はに作る。すなわち〔説文〕のいう陳は金文のにあたる。は聖所の社(土)前に東(供える)をおく形。はそのを撃つ形を加えたもの。多く陳(つら)ねるので陳列・陳設の意となり、そのまま陳設しておくので陳久・陳腐の意となったのであろう。〔墨子、号令〕にみえる「陳表」を〔墨子、雑守〕に「田表」に作り、陳と田とは古く同声であった。それで斉の陳氏をまた田氏という。ただ金文では田斉諸侯の器をすべて侯としるしており、がその本姓である。

[訓義]
1. つらねる、神前に陳設する、ならべる、ほどこす、おく。
2. おおい、多くのべる、陳述する、ときあかす。
3. ふるい、ひさしい、ふるめかしい。
4. 古く田と音が通じ、斉の陳氏を田斉という。

[古辞書の訓]
名義抄〕陳 ノブ・フルシ・カクミチ・タ・ヒサシ・ツラヌ・ツラナル・コトバ・シク/陳 ソヒフス/陳根 フルキネ 〔字鏡集〕陳 アサフ・ツハモノ・ツラネタリ・イサカフ・ハカル・ツラヌ・トク・ヒク・ツラナル・ヒサシ・フルシ・タタカフ・ノブ・タク・シク・ハカル・サク

[語系]
陳・陣dienは同声。陣とは兵車などを連ねて陣形を構成することをいう。展tianは展開、また伸展葬をいう字。田dyenは陳と声近く、陳氏の後にして斉に入り、斉侯となったものを、のち田斉といい、姜姓の呂斉と区別する。

[熟語]
陳雲・陳閲・陳卦・陳棊・陳啓・陳見・陳言・陳玄・陳紅・陳根・陳死・陳詞・陳詩・陳謝・陳述・陳序・陳叙・陳上・陳状・陳情・陳人・陳誠・陳請・陳迹・陳跡・陳積・陳蹟・陳設・陳説・陳膳・陳訴・陳奏・陳粟・陳陳・陳敵・陳椽・陳発・陳腐・陳布・陳聞・陳米・陳弊・陳編・陳墨・陳明・陳葉・陳力・陳列・陳論
[下接語]
横陳・開陳・極陳・具陳・下陳・堅陳・口陳・弘陳・行陳・鉤陳・陳・指陳・肆陳・出陳・条陳・常陳・新陳・薦陳・前陳・陳・疎陳・奏陳・置陳・直陳・披陳・布陳・敷陳・平陳・舗陳・面陳・羅陳・縷陳・列陳

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改訂新版 世界大百科事典 「陳」の意味・わかりやすい解説

陳 (ちん)
Chén

中国,南朝四王朝の一つ。557-589年。創業者は陳覇先(武帝)。呉興(江蘇省呉興)の微賤の家に生まれた陳覇先は,嶺南地方で武将として名をあげ,梁末に侯景の乱が起こると土豪勢力を糾合して贛江(かんこう)を北上,その平定に手柄をたてた。そのうえ,江南の混乱につけこんだ北斉の傀儡政権樹立のもくろみを粉砕し,にかわる王朝を創業。この王朝のもとで貴族は往時の勢力を失い,実力は梁末に各地に起こった土豪将帥層に帰した。文帝期には長江(揚子江)中流の王琳,江西省の周迪(しゆうてき),浙江省の留異,福建省の陳宝応等の割拠勢力を平らげて江南一円の支配を確立し,宣帝期には北斉から江北の土地を奪った。しかし,577年(建徳6)には北周が北斉を併せて華北の統一がなり,デカダンスの天子として史上に名高い後主のとき,陳は北周を継いだ隋の攻撃をうけて滅んだ(589)。こうして,東晋以来,約270年に及ぶ南北分裂の時代に終止符が打たれたのである。
魏晋南北朝時代
執筆者:


陳 (ちん)
Chén

中国,春秋時代の侯国。?-前478年。前11世紀末,周武王が,舜の子孫の嬀満(きまん)を宛丘(河南淮陽県)に封じた国。春秋時代には12の有力諸侯の一つとしてかなりの地位を保っていたが,前7世紀以降,侯位相続をめぐる内乱がたびたびあり,しかも楚・斉・晋の間にあって,その圧迫苦しみ,前531年楚の霊王に滅ぼされた。霊王の死後国の再興を許されたが,その後も楚の勢力下にあり,ときに呉の攻撃を受け,前478年に楚に滅ぼされた。
春秋戦国時代
執筆者:

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百科事典マイペディア 「陳」の意味・わかりやすい解説

陳【ちん】

中国の国名,王朝名。(1)春秋時代の侯国。河南の一角を領有。(しゅん)の子孫と伝える。小国で振るわず,前478年に滅ぼされた。(2)南朝最後の王朝。557年陳覇先(武帝)がを奪って建国。一時は北進して北斉()を攻めたが,やがて北方を統一したに攻められ,589年滅亡。→魏晋南北朝時代
→関連項目春秋戦国時代南北朝文帝(隋)六朝文化

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「陳」の意味・わかりやすい解説


ちん

中国、南朝最後の王朝(557~589)。呉興郡(浙江(せっこう)省)の人、陳覇先(ちんはせん)(武帝)が建立した。陳覇先は身分の低い軍人であったが、梁(りょう)末の侯景の乱に際しその鎮圧に奔走して勢力を築き、梁の元帝が江陵で西魏(せいぎ)に襲殺されると敬帝をたて、やがて敬帝の禅譲を受けて即位し、建康(南京(ナンキン))に王朝を開いた。その死後、兄の子文帝が継ぎ、ついで廃帝、宣帝と続いたが、第5代の後主のときに隋(ずい)の文帝に滅ぼされた。その領域は、わずかに揚子江(ようすこう)中・下流以南と、宣帝の時代に北斉(ほくせい)から奪った淮南(わいなん)一帯を占めるにすぎなかった。この時期、南朝貴族は侯景の乱を境に多く没落しており、政治の中枢にあったのは武将出身者や身分の低い寒人(かんじん)であって、その点南朝のなかでは特異である。滅亡時、隋に入った人口は200万という。

[中村圭爾]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「陳」の意味・わかりやすい解説

陳[周代]
ちん[しゅうだい]
Chen

中国,周代の諸侯国の一つ (前 1027~478) 。ぎ姓。伝説によれば,周の武王が殷を滅ぼしたときの子孫を捜し,胡公満 (ぎ満) を得て,陳 (河南省淮陽) に封じたのに始るという。春秋時代には中原への進出の要地として,楚の圧迫を受けること激しく,国政はふるわなかった。特に,楚両国の争いが起ると,強いほうに従うという自主性のない立場を繰返し,哀公 35 (前 534) 年楚の霊王に滅ぼされた。恵公5 (前 529) 年一時復国したが,前6世紀末からは東方の呉の圧力も加わり,びん公 23 (前 479) 年びん公が楚に殺され,翌年滅亡した。

陳[南朝]
ちん[なんちょう]
Chen

中国,南朝最後の王朝 (557~589) 。武将出身の陳覇先 (→武帝) がを滅ぼして建国。このとき,貴族制は衰退し,国政は地方豪族出身の武将が握った。第4代の宣帝のときには北斉を攻撃して,一時揚子江の北に進出したこともあったが,宣帝の跡を継いだ後主のとき隋に滅ぼされた。滅亡時の戸数 50万,人口 200万。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「陳」の解説


ちん

中国の南北朝時代の南朝最後の王朝(557~589)。梁(りょう)の太守であった陳覇先(ちんはせん)(武帝)が侯景の乱で勢力を強め,梁の敬帝から禅譲をうけて建国。都は建康(現,南京)。百済(くだら)のほか高句麗(こうくり)と新羅(しらぎ)の朝貢を毎年うける。しかし北朝には劣勢が続き,ついに隋の楊堅(ようけん)(文帝)の攻撃をうけて滅んだ。

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旺文社世界史事典 三訂版 「陳」の解説


ちん

557〜589
南北朝時代の南朝最後の王朝
梁 (りよう) の部将陳覇先 (ちんはせん) が敬帝の譲りを受けて即位し,建康に都した。第4代宣帝までは北朝の北周・北斉とよく対抗し,一時北伐を試みたこともある。隋の楊堅 (ようけん) によって滅ぼされた。

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世界大百科事典(旧版)内のの言及

【魏晋南北朝時代】より

…220年漢帝国が滅亡してから589年隋によって中国が再び統一されるまでの時代。建康(南京)に首都を置いた呉・東晋・宋・斉・梁・陳の江南6王朝を六朝というが,六朝の語でこの時代を総称する場合もある。この時代の特徴は政治権力の多元化にあり,短命な王朝が各地に興亡して複雑な政局を織りなし,はなはだしい場合には十指に余る政権が併立した(図)。…

【南朝】より

…中国,東晋王朝を継いで江南に興亡した4王朝,すなわち(420‐479),(479‐502),(502‐557),(557‐589)の総称。北朝に対する呼名。…

※「陳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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