中国,梁の顧野王が編集した部首別字書。30巻542部に分かれ1万6917字を収めたと唐の封演《封氏聞見記》文字にいうが,原本は滅んで,わずかの部分が写本として日本にのみ伝えられる。現在普通に《玉篇》というのは,原本に何回かの手が入った後,宋の陳彭年らによりさらに増補された《大広益会玉篇》で,これは日本でもよく用いられた。《倭玉篇(わごくへん)》などが作られたのもその余波である。なお江戸時代から明治にかけてよく用いられた毛利《増続大広益会玉篇》は検索も筆画順に改められた別書といっていいものである。原本の542部は《説文解字》の540部を受けることが明らかだが,配列の面で《説文》とちがう新味を示そうとする態度がうかがえる。《原本玉篇》は写本から見る限り,今の本に比べ解説が格段に詳しい。したがって《大広益会玉篇》に至るこの字書の増補は,むしろ解説の詳しさを捨てて収容字数を増すという方向で行われたのだといえる。空海の《篆隷(てんれい)万象名義》は《原本玉篇》を藍本としてその簡略本を作ろうとしていたと見え,それが引用した反切によって《原本玉篇》の字音体系を探ろうとする研究もある。早く《切韻》系統の韻書と並べ〈篇・韻〉などと呼ばれるほどよく利用されたが,反切の構成に《切韻》などとはちがった点が多い。
執筆者:尾崎 雄二郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国の字書。顧野王(こやおう)(519―581)撰(せん)。30巻。543年(南朝梁(りょう)の大同9)成書。1万6900余字を542の部首に分け、古字書の注解、古典での用例とその注釈等を引用して文字の意味、用法を詳しく示す。『説文解字(せつもんかいじ)』が字形と関連させて字の本義を説くのに対し、本書は実際の用法における字義の解説に重点を置く。部首も『説文解字』にほぼ拠(よ)りながら、部首の配列には意味のつながりを重視して検索の便を図った。このように現実的な優れた字書であったが、中国では散逸し、日本に一部分の古写本が伝わり、貴重視される。のち種々改訂本がつくられたが、中国に現存するものは、北宋(ほくそう)の陳彭年(ちんほうねん)らが勅命により撰した『大広益会玉篇』(1013)で、収録字を増したかわり、注解は大幅に簡略化された。
[平山久雄]
『岡井慎吾著『玉篇の研究』(1933/再版・1969・東洋文庫)』▽『小川環樹著「中国の字書」(『日本語の世界3 中国の漢字』所収・1981・中央公論社)』
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…そうした困難を緩和するものとして,〈類書〉とよばれる故事を集め分類した,いわば百科事典のごときものが利用された。古代においてもっとも利用されたものに《芸文類聚(げいもんるいじゆう)》《初学記》があり,また小学書(漢字辞典のようなもの)と類書の性格を備えた《玉篇(ぎよくへん)》があった。この《玉篇》は,当該の漢字の字義を知ることができるとともに,その漢字が用いられた用例と出典をも知ることができるものであった。…
…日本で編述した現存最古の辞書は空海の《篆隷万象名義(てんれいばんしようめいぎ)》30巻で,830年(天長7)以後の成立である。これは《玉篇》にもとづいて要約し,一部に篆書を併記してあるもので,漢字の字形から音や意味を引く辞書だが,漢文の注記だけで,和訓はない。菅原是善(これよし)(道真の父)の《東宮切韻(とうぐうせついん)》は847‐850年(承和14‐嘉祥3)の間に成立したといわれ,中国の14種の《切韻》を集成し,漢字を韻によって分類し,その音や意味をしるし,和訓はないようであるが,これも原本は散逸した。…
…このあと,晋に呂忱の《字林》があって,同じく540部に分けたといわれるが現存しない。梁の顧野王(こやおう)の《玉篇》がこの系統をうけてはいるが,注解は本義にかぎらず,広く用例を古書に求めている点,後世の字書の注解に近い。 南北朝に入ると,インドの音韻学の知識が中国に紹介されるとともに,韻文の流行が字音の研究を促した。…
※「玉篇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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