(読み)リョウ

デジタル大辞泉 「梁」の意味・読み・例文・類語

りょう【梁】[漢字項目]

人名用漢字] [音]リョウ(リャウ)(漢) [訓]はり うつばり やな
屋根を支えるため両側の支柱に架け渡す横木。はり。また、はりに似たもの。「梁材・梁塵りょうじん梁木虹梁こうりょう脊梁せきりょう柱梁棟梁鼻梁
橋脚を立てて川の両岸に架け渡した木の橋。「橋梁石梁
川をせき止めて魚を捕る装置。やな。「魚梁」
はねまわる。「跳梁
中国の王朝名。「後梁

りょう〔リヤウ〕【梁】

中国の国名。
戦国時代の恵王が都を大梁(開封)に移してからのちの称。
南北朝時代南朝の一。502年、蕭衍しょうえん武帝)が斉の禅譲を受けて建国。建康(南京)を都とし、南朝の最盛期を現出したが、548年、侯景の乱以後衰退し、557年、に滅ぼされた。
後梁こうりょう

やな【×梁/×簗】

川の瀬にくいなどを八の字形に並べ、水をせき止めて1か所をあけ、そこに梁簀やなすを張って流れてくる魚を受けて捕る仕掛け。上り梁・下り梁などがある。 夏》「手に足に逆まく水や―つくる/泊雲」
[補説]「簗」は国字。

はり【×梁】

構造物の上部からの荷重を支えるため、または柱をつなぐために架け渡す水平材。特に、けたに対して直角に渡されたものをさす。

うち‐ばり【×梁】

うつばり」に同じ。
「雨の日をもらすは惜しき商ひに―広き殿作りせん」〈三十二番職人歌合

うつ‐ばり【×梁】

内張りの意。平安時代までは「うつはり」》屋根の重みを支えるための横木。はり。

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精選版 日本国語大辞典 「梁」の意味・読み・例文・類語

つる【弦・絃・鉉】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 弓に張る糸。弓弦(ゆみづる・ゆづる)。つら。
    1. [初出の実例]「諸馬の案、人の服、弓の弦(ツル)、甲の縺を凡そ厥の帯へる糸を鼠皆齧み歯み断ちつ」(出典:大唐西域記巻十二平安中期点(950頃))
  3. 琴などの弦楽器に張る糸。また、それを張った楽器。三弦、三味線など。〔大治本新華厳経音義(奈良末)〕
    1. [初出の実例]「色事はこっち任せ、三絃(ヅル)もちっくりかじるてや」(出典:浄瑠璃・一谷嫩軍記(1751)二)
  4. (なべ)や土瓶(どびん)などにつけてある弓形の取手(とって)
    1. [初出の実例]「薬鑵など参時は、右の手にてはつるを取」(出典:鎌倉殿中以下年中行事(1454か))
  5. ( 「梁」とも ) 枡(ます)の口に対角線にわたした細い鉄の板。穀物をはかるときに斗掻きでならすことを確実にするためのものという。
    1. [初出の実例]「これは西南より東北へ、升の梁(ツル)のごとくに角ちがひにゆきたるものなり」(出典:制度通(1724)九)
  6. ( 弦 ) 大型和船の上棚のはぎ板の称。近世以後の大型和船の上棚は、数枚の板をはぎ合わせて構成されるが、そのうち船梁を貫通させる最も重要なはぎ板をいう。五百石積以上の大船では表弦・艫弦の前後二材に分ける。つるいた。
    1. [初出の実例]「楠八尋板 二枚 つる」(出典:新造精帳書(1863))
  7. つる(蔓)

うつ‐ばり【梁】

  1. 〘 名詞 〙 ( 「うつはり」とも )
  2. 家屋や橋などの骨組みの一つ。柱と柱の上に渡し、棟の重みを受けて屋根を支えるもの。横木。うちばり。梁(はり)
    1. 梁<b>①</b>
    2. [初出の実例]「即ち宮垣(みかき)室屋(おほとの)(うはぬり)せず。桷(はへき)(ウツハリ)(はしら)(うだち)藻餝(えがきかざ)らず」(出典:日本書紀(720)仁徳元年正月(前田本訓))
    3. 「此製鉄場には二階の設なし、梁(ウツバリ)上に重力の器械を設く」(出典:米欧回覧実記(1877)〈久米邦武〉二)
  3. ( から比喩的に ) ある組織を支える中心的な存在。また、そのような人。棟梁(とうりょう)
    1. [初出の実例]「此の両(ふたり)の僧、仏教(ほとけのみのり)を弘演(ひろめ)て、並に三宝の棟梁(むねウツハリ)と為(な)る」(出典:日本書紀(720)推古三年五月(岩崎本訓))

やな【梁・簗】

  1. 〘 名詞 〙 川の瀬に杭を打ち並べて水をせきとめ、一か所だけをあけて簀(す)を張り、川を上り下りする魚をそこに受けて取る仕掛け。また、そこでとれた魚。やい。《 季語・夏 》
    1. 梁〈日本山海名物図会〉
      梁〈日本山海名物図会〉
    2. [初出の実例]「亦梁を作(う)ちて取魚(すなどり)する者有り〈梁 此をば揶奈(ヤナ)と云ふ〉」(出典:日本書紀(720)神武即位前)

りょうリャウ【梁】

  1. [ 一 ] 中国、戦国時代の魏が、紀元前三六一年に大梁(開封)に遷都した以後の国号。
  2. [ 二 ] 中国、南北朝の南朝第三の王朝(五〇二‐五五七)。蕭衍(武帝)が斉の禅譲を受けて建国。南朝文化の最盛期を現出したが、侯景の乱以後衰退し、陳に滅ぼされた。
  3. [ 三 ] 中国、五代最初の王朝(九〇七‐九二三)。通称は後梁。朱全忠(太祖)が唐を滅ぼして建国。二代で後唐に滅ぼされた。首都は開封。

はり【梁】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 木造建築で、柱の上にはり渡し、上に束や扠首(さす)をおき屋根をささえるための横木。上部の重みをささえたり、柱を強固にしたりする。うつばり。〔和玉篇(15C後)〕
  3. 細長い材料がそれぞれの支点でささえられ、材に直角または斜めに曲げの力がはたらいているもの。ビーム。〔工学字彙(1886)〕

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普及版 字通 「梁」の読み・字形・画数・意味


人名用漢字 11画

[字音] リョウ(リャウ)
[字訓] とびいし・やな・はし・はり

[説文解字]
[金文]

[字形] 形声
声符は(りよう)。は梁の初文。古文の形は水に両木をわたす形。金文ではを粱に用いる。〔説文〕六上に「水橋なり」とし、(そう)声とするが、声が合わない。金文の稲粱の粱を、水に従ってに作るものと、粉米の形に従うものとがあり、水橋の象に従うものはない。〔詩、衛風、有〕「彼の淇(き)(水名)の梁に在り」の〔伝〕に「石の水を(わた)るを梁と曰ふ」とあって、必ずしも横木に限らず、飛石をいい、またそのようなところにかける(やな)を梁というのであろう。

[訓義]
1. とびいし、やな。
2. はし、こばし。
3. よこぎ、はり、はしら、うつばり、くしがた。
4. つつみ、どて。
5. 勍(けい)と通じ、つよい。
6. 諒(りよう)と通じ、まこと。

[古辞書の訓]
〔新字鏡〕梁 宇豆波利(うつばり)〔和名抄〕梁 宇波利(うつばり)〔名義抄〕梁 ウツバリ・ハシ・ヤナ 〔立〕梁 ハシラ・コバシ・ヒトツバシ・ウツバリ・ハシ

[声系]
〔説文〕に梁を声、粱を梁の省声とするが、金文にの字形があり、梁の初文。また粉米の象に従うものがあり、それは粱の初文であろう。金文はみな粱の意に用いる。

[語系]
梁・粱liangは同声。もとから分岐した字である。

[熟語]
梁埃・梁闇・梁倚・梁楹・梁園・梁材・梁桟・梁上・梁津・梁塵・梁端・梁柱・梁棟・梁木・梁
[下接語]
雲梁・屋梁・河梁・画梁・危梁・魚梁・強梁・橋梁・高梁・山梁・桟梁・舟梁・津梁・石梁・脊梁・沢梁・柱梁・跳梁・雕梁・梯梁・提梁・棟梁・飛梁・鼻梁・浮梁・輿梁・陸梁

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「梁」の意味・わかりやすい解説

梁(建築)
はり
beam

鉄骨構造、鉄筋コンクリート構造、木構造などの建築骨組を構成する細長い棒材のうち、ほぼ水平方向に配置され、主としてその材軸線に垂直な方向の荷重(横荷重)を支持する働きをするものを梁という。一般には種々の構造物の構成要素のうち、横荷重を支持する働きをする細長い棒材をすべて梁という。

 木造日本建築の小屋組みのうち和小屋では、屋根自重や屋根の積雪荷重などを支持するために、2本の軒桁(のきげた)の間に太い梁をかけ渡す。これを小屋梁という。図A鉄骨鉄筋コンクリート構造の梁は、その自重、床スラブや壁などの重量のほか、床スラブ上の積載物の重量をも支持する。梁はその両端で柱に接合されて支持される。橋桁もその荷重支持作用からいえば梁であり、支柱や橋台上の支承で支持される。

 梁は横荷重の作用を受けると曲げられる。その曲げ変形の性状は、梁の形状と支持方法、および横荷重の種類によって異なる。図Bには、一端で固定された片持ち梁(ばり)の他端に作用する横荷重による曲げ変形の例を示した。実際の梁の曲げ変形は目に見えないほど小さい。梁の曲げ変形の主要部分は、曲げ変形後の材軸線の呈する曲線で記述される。これを弾性曲線という。図Cには、3か所で支持された梁(連続梁)が異なる2種類の横荷重の作用の下で呈する弾性曲線を示した。梁のこのような力学的挙動を記述する理論は、構造力学の基礎理論であって、とくに梁理論ともいう。

 曲げられた梁の各部分は、横から見ると扇形に変形している(図D)。したがってその最外縁がもっとも大きく伸ばされたり縮められたりしている。このような曲げ変形に抵抗する作用が集積されて、梁全体としての荷重支持作用となる。梁要素の曲げ変形に対する抵抗性能は梁の形状によって異なる。図Eにその例を示した。同体積の材料を用いるとすると、図Eの①のように可能な限り多くの材料を最外縁に近く配置してフランジとし、その間の距離を大きくするほうが性能が高くなる。しかしその間を連結するウェブの厚さも限界値以下にできない。背を高くしてフランジの幅を狭くすると、横にはらみ出しやすくなる。市販のH形鋼材の形状は、これらの力学的理由によって定められている。図Eのほかの鉄骨梁の形状も、種々の力学的根拠に基づいて考案された結果である。

 建築骨組の中の梁は、多くの場合柱と剛接合されてラーメンを形成し、各部重量や積載荷重を支持する働きのみならず、柱とともに骨組全体としての水平方向の風荷重や地震外乱に耐える性能を構成する役割も果たす。梁は材軸線の形状によっても分類される。材軸線が直線である梁を直線梁、それが曲線である梁を曲り梁という。曲り梁は螺旋(らせん)階段を支える梁や曲線箱桁橋などに用いられる。

[中村恒善]



梁(中国の王朝)
りょう

中国、南朝3番目の王朝(502~557)。始祖の蕭衍(しょうえん)(武帝)は南斉(せい)王室の疎族(そぞく)。雍州(ようしゅう)(湖北省)の鎮将から進撃して南斉の暴君東昏(とうこん)侯を討ち、和帝の禅譲を受けて王朝を建康(南京(ナンキン))に開いた。48年に及ぶ武帝の治政のうち、前半は、科挙制の先駆となる試験による官吏登用や官制改革を行って貴族制の再編を図るなど、六朝(りくちょう)期きっての治績をたたえられた。しかし、やがて仏教に傾倒して失政を重ね、東魏(とうぎ)の降将侯景(こうけい)の反乱を招いて、社会は大混乱に陥り(548)、武帝も憂死した。首都を制した侯景は、簡文帝、ついで予章王棟をたてたのち自立して「漢」と号したが、元帝に討たれた(552)。元帝は荒廃した建康を見限って江陵(湖北省)を首都に再興したものの、甥(おい)の蕭詧(しょうさつ)と結んだ西魏(せいぎ)に襲殺された(554)。このため王僧弁が建康で閔(びん)帝をたてたが、ついで実権を握った陳覇先(ちんはせん)(陳の武帝)が敬帝をたてたのち禅譲を迫り、梁は滅びた。盛時、建康は28万戸を数え、仏教を中心に学問、芸術が栄えた。その反面、貴族の文弱化も著しく、侯景の乱以降の動乱で多くが死に、かわって下級武人や地方土豪が台頭して、南朝貴族制は衰えた。

[安田二郎]

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百科事典マイペディア 「梁」の意味・わかりやすい解説

梁【りょう】

(1)中国,戦国時代(春秋戦国時代)のの別名。大梁(開封)に都したので,この名がある。(2)中国,南朝(南北朝)の一つ。502年―557年。の末,王族の蕭衍(しょうえん)(武帝)が国を奪って即位。48年間の治政は南朝文化の最盛期を現出したが,末年に侯景の反乱が起こり,国内は分裂。8年の間に5帝が立てられ,陳覇先()に国を奪われた。(3)中国,五代(五代十国)の最初の王朝。後梁とも。907年―923年。朱全忠(太祖)が唐の天下を奪って即位,開封に都した。しかし山西や河北の軍閥(藩鎮)はこれを認めず,分裂の時代となる。特に晋(のち唐)の力は強く,これに滅ぼされた。
→関連項目魏晋南北朝時代六朝文化

梁【はり】

建造物で柱と柱を連結,上部の重さを支えるための水平な構造材で,多く柱の2倍以上の断面寸法とする。屋根を支える小屋梁,2階の床を支える二階梁,神社建築などで使用される曲がった海老虹梁(えびこうりょう)などがある。
→関連項目アーチ橋うだつ(卯建)虹梁タンパン

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改訂新版 世界大百科事典 「梁」の意味・わかりやすい解説

梁 (はり)
beam

ビームともいう。建物,橋などにおいて,屋根,床などの荷重を支持するため,あるいは柱,壁などの鉛直部材を相互に連結補強するために水平にかけ渡される部材の総称。狭義には,構造物の短辺方向にかけ渡したものをいい,梁に交叉する方向に配置されて梁を受ける部材は桁girderと呼んで両者を区別していたが,現在では特別な場合以外,両者を区別することは少ない。木造建築においては,使用する部位,位置を冠して,小屋梁,陸梁などの呼名が用いられており,一般の建築では,材料によって鉄骨梁,鉄筋コンクリート梁などと,また力の伝達順序,規模によって大梁,小梁などと呼ばれている。

 梁は,力学的な支持条件により,片持ち梁,単純梁,固定梁に分類される。片持ち梁はカンチレバーとも呼ばれ,一端が固定支持され,他端が自由なもの,単純梁は一端がピン,他端がローラーで支持されたもの,固定梁は両端とも固定支持されたものをいう。また,支点が三つ以上あって不静定構造になっているものを連続梁といい,単純梁に比べて変形が小さい。連続梁の途中に適当にピン接合をおくと静定構造となり,これをゲルバー梁という。
執筆者:


梁 (りょう)
Liáng

中国,南朝四王朝の一つ。502-557年。4代の天子をかぞえるが,実際は治世約50年に及び,〈みずから天下を得,みずから天下を失う〉と評せられる武帝蕭衍(しようえん)一代の王朝であったといえる。蕭衍は南斉王室の疎族。雍州刺史であったとき,南斉の東昏侯の暴政を除くべく挙兵,王朝を奪った。一流の知識人であった武帝は貴族を尊重したが,彼が尊重したのはその門地よりもむしろ教養であり,また人材発掘のために貴族の子弟を教育する国子学と寒門の子弟を教育する五館の学校制度を整えるなど,貴族制に一定の手直しを加えた施策には見るべき点があった。しかし晩年には仏教信仰におぼれて政治にうみ,東魏の降将侯景の乱によって江南の社会は大混乱におちいった。第3代元帝は建康(南京)をすてて江陵(湖北省江陵)に都を置いたが,それも西魏の攻撃をうけて壊滅(554)。北朝から加わる重圧と地方土豪層の蜂起のうちに滅んだ。
魏晋南北朝時代
執筆者:


梁 (りょう)
Liáng

中国,五代最初の王朝。907-923年。後梁ともいう。建国者朱全忠は黄巣の反乱軍の中心部将。唐に下って汴州(べんしゆう)宣武軍節度使に任ぜられた。汴州という地の利によって勢力を拡大し,唐帝を洛陽に移して自己の保護下におくとともに,皇帝側近の宦官や貴族を大粛清して唐的伝統を絶ち切った。907年(開平1),帝位につき,国を大梁と号し,汴州開封府を都として,貴族政治に代わる最初の武人政権を華北に樹立した。しかし,山西や河北の軍閥は後梁を認めず,とくに山西の河東節度使李克用(りこくよう)とは激しく抗争し,その子李存勗(りそんきよく)(後唐荘宗)のときに滅ぼされた。
五代十国
執筆者:


梁 (りょう)
Liáng

中国,(南朝)の元帝の政権が西魏によって滅ぼされた後,江陵(湖北省江陵)に建てられた王朝。555-587年。後梁とよばれる。初代天子の蕭詧(しようさつ)は梁の武帝の孫,昭明太子の第3子。西魏・北周・隋の3代にわたって北朝の傀儡(かいらい)王朝として存在し,境域もせまく,軍政長官たる江陵総管のきびしい監視のもとにおかれた。政治的にはまったく無力であったが,江南の文化を北朝に伝えるうえで一定の役割を果たした。
魏晋南北朝時代
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「梁」の意味・わかりやすい解説


りょう
Liang

中国,南朝 (→南北朝) の一王朝 (502~557) 。南斉末,雍州刺史であった蕭衍 (しょうえん。→武帝) が梁の天監1 (502) 年斉の和帝の禅譲を受けて建てた王朝。蕭衍の治世は約 50年に近いが,その間,文運は栄え,仏教も盛んであり,対外関係も比較的平穏であった。しかし武帝は同7年の天監の改革で士族だけを政治的支配層=官吏とする政策を打出したため,各地の小豪族層や庶民の背反と不信を招き,国政の乱れが表面化した。武帝は貴族層の体質改善をはかったが,成功しなかった。太清2 (548) 年侯景の乱が起り,首都建康は陥落し,武帝は失意のうちに死に,梁国は大混乱に陥った。各地に駐屯する梁の諸軍中,最も勢力のある荊州刺史の湘東王蕭繹が,侯景のいる建康へ王僧弁らの大軍を派遣。承聖1 (552) 年侯景が敗死すると,蕭繹は江陵で即位した (元帝) 。しかしこうした混乱に乗じて,西魏は江陵を攻略し,元帝を殺して梁の百官を関中に強制移住させた。建康の破壊と江陵の陥落とは南朝貴族制に決定的打撃を与えた。建康に駐屯していた王僧弁は,北斉の圧力で,貞陽侯蕭淵明を迎えて帝位につけたが,これに反対した陳覇先 (→武帝〈南朝陳〉) は王僧弁を殺し,北斉の進攻防止に成功して,武帝の子晋安王蕭方智 (敬帝) を擁立,やがて梁の太平2 (557) 年敬帝は陳覇先に位を譲って,ここに梁朝は滅亡した。


はり
beam

垂直材である柱の上に水平に置き,上からの荷重を支える部材。梁のうち,建築学で家屋の棟方向にかけたもの,土木工学で橋梁に用いるものを特に桁ということがある。梁は軸に直角方向の外力を受けて,主として曲げによって荷重を支えるのが特徴で,鉛直荷重だけを支持する小梁と,通常は床や小梁にかかる荷重を受けているが,地震や台風時には柱などとともに水平力にも抵抗する大梁とがある。力学的には,梁を支える方法によって,梁の両端を支えた単純梁,中間にも支点を設けた連続梁,連続梁の中間を切ってピンでつないだゲルバー梁,両端を完全に固定した固定梁,固定梁の一端を開放した片持ち梁などに分類される。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「梁」の解説

梁(りょう)
Liang

①〔南朝〕502~557 南朝の王朝。の末,皇族の蕭衍(しょうえん)(武帝)は兵を挙げて東昏侯(とうこんこう)を退けて和帝を立て,その禅譲で即位した。その48年の治世は南朝文化の最盛期であったが,末年には侯景(こうけい)の乱が起こり,西魏は江陵を陥れて傀儡(かいらい)政権の後梁を建てたが,建康では陳覇先(ちんはせん)が敬帝を立てその禅譲でを建て,梁は6代で滅んだ。

②〔五代〕後梁(こうりょう)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「梁」の解説


りょう

中国の南北朝時代の王朝の一つ(502~557)。蕭衍(しょうえん)(武帝)が斉(せい)の和帝から禅譲をうけて建国。都は建康(現,南京)。武帝は倭(わ)と百済(くだら)を重視し,即位の年に百済王と倭王武(ぶ)をそれぞれ鎮東大将軍から征東将軍と征東大将軍に進めた。548年,東魏の亡命者侯景(こうけい)の反乱によって王朝は混乱し,陳覇先(ちんはせん)(陳の武帝)に簒奪された。なお「梁職貢図」は3代元帝(蕭繹(しょうえき))の作。



はり

古くは「うつばり」とも。建物の柱の上方にあり,屋根を支える横木。柱を省略して広い空間を造る梁,柱と柱をつなぐ梁などがある。前者ははじめ棟と直角の方向(梁行(はりゆき)または梁間)にだけ架け,のちに棟の方向(桁行(けたゆき))にも架けた。みえるところに架ける化粧の虹梁(こうりょう)と天井で隠される野物(のもの)の小屋梁,大梁と小梁,繋(つなぎ)梁などの別がある。

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旺文社世界史事典 三訂版 「梁」の解説


りょう

①南北朝の南朝第3の王朝 502〜557
②五代最初の王朝 907〜923
斉の一族蕭衍 (しようえん) (武帝)が斉に代わって建国。その治世48年間は南朝文化の最も栄えた時期で,特に仏教が盛んであった。しかしその末年に,西魏の侵入で国は分裂し,梁は6代56年で陳に奪われた。
通称は後梁。➡ 後梁 (こうりよう)

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

リフォーム用語集 「梁」の解説

建物の水平短径方向に架けられ、床や屋根などの荷重を柱に伝える材の事。主に曲げ応力を担い、鉛直荷重を伝えるが、地震などに際しては水平方向の荷重を支える事にもなる。梁にかけられた荷重は、柱・壁・大梁に伝えられる。梁の端部に柱があるものを大梁、柱に直接繋がっていないものを小梁とよぶ。木造・鉄骨造・SRC造と算定方法は異なる。装飾などを施して、わざと見える様にしたものを、露出梁という。

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家とインテリアの用語がわかる辞典 「梁」の解説

はり【梁】

建物などの構造物で、柱などを支点として水平に渡す構造部材。建物の場合、柱の頭をつなぎ、その上の床や屋根の荷重を支える。特に、木造の日本建築では、棟(むね)と直角に渡すものをいい、棟と平行に渡す桁(けた)と区別する。

出典 講談社家とインテリアの用語がわかる辞典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のの言及

【魏】より

…文侯は政治を改革し,戦国初期第一の強国となり,境域を拡大した。文侯死後,秦の攻撃を受け,都を大梁(河南省開封市)に遷し,国を梁とも称した。斉にも圧迫され,前225年秦に滅ぼされた。…

【針供養】より

…針仕事を休んで古針や折れ針を供養し,裁縫の上達を祈る女性の行事。用の済んだ針を豆腐やこんにゃく,餅などに刺し,川へ流したり近くの社寺へ持ち寄って供養してもらうのが一般的で,全国の広い地域で2月もしくは12月の8日(こと八日)に行われている。…

【蛇婿入り】より

…蛇婿入譚は内容から〈苧環(おだまき)型〉〈水乞(みずこい)型〉〈蛙報恩型〉に大別される。〈苧環型〉は,夜中に娘のところに見知らぬ若い男が通ってくるのを怪しんだ親が,男の着物に糸を通した針を刺させ,男が帰ったあとその糸をたどっていったところ蛇のすみかに至り,そこで蛇の親子の会話を立ち聞きして娘に宿った蛇の子を堕(おろ)す方法を知る,というものである。同じ内容の話が古代の神話や伝説にもみえて,三輪山型神婚説話(三輪山伝説)と呼ばれている。…

【魏晋南北朝時代】より

…220年漢帝国が滅亡してから589年隋によって中国が再び統一されるまでの時代。建康(南京)に首都を置いた呉・東晋・宋・斉・梁・陳の江南6王朝を六朝というが,六朝の語でこの時代を総称する場合もある。この時代の特徴は政治権力の多元化にあり,短命な王朝が各地に興亡して複雑な政局を織りなし,はなはだしい場合には十指に余る政権が併立した(図)。…

【南朝】より

…中国,東晋王朝を継いで江南に興亡した4王朝,すなわち(420‐479),(479‐502),(502‐557),(557‐589)の総称。北朝に対する呼名。…

【武帝】より

…中国,南朝の初代皇帝。在位502‐549年。…

※「梁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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