飯沢村(読み)いいざわむら

日本歴史地名大系 「飯沢村」の解説

飯沢村
いいざわむら

[現在地名]羽後町飯沢

北に流れる西馬音内にしもない川上流に位置し、北は西馬音内堀廻にしもないほりまわり村、東は峰境に鹿内しかない村、西は峰境に上仙道かみせんどう村・中仙道なかせんどう村と接する。

天正一八年(一五九〇)の西馬音内領小田原参陣役銭賦課帳(西垣文書)に「上洛ノ砌城内二十三人シテ百貫ノ役銭ノカヽリハ廿六〆(中略)飯沢六十五〆 上仙道同断 中仙道同断 下仙道同断」とあり、小野寺氏に役銭を上納している。

正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に二七七石とある。宝永二年(一七〇五)の雄勝郡村々御黒印高牒(秋田県庁蔵)によれば、高は本田二二一石二斗八升二合、新田二一五石五斗二升一合、合計四三六石八斗三合(当高三七六石五斗三合)


飯沢村
いいざわむら

[現在地名]黒部市飯沢・六天ろくてん

東は出島でじま開・ヶ開・古御堂ふるみどう村、西は吉田よしだ村。寛永二年(一六二五)の知行所目録(中川家文書)によれば、当村の三四石余などが津田右京・沢田少二郎に宛行われている。同一六年富山藩領、万治三年(一六六〇)から加賀藩領。正保郷帳では高四九七石余、田方三二町六反・畑方五反余、新田高三二五石余。明暦二年(一六五六)草高七三〇石となったが、黒部川の大洪水のため寛文九年(一六六九)の引高一四五石、同一〇年の村御印では草高五八五石、免三ツ四歩、小物成は野役五五匁・山役二〇匁・鮭川役一九匁三分・鱒役一匁(三箇国高物成帳)


飯沢村
いいざわむら

[現在地名]南足柄市飯沢

北をかり川が流れ、西南山中より流出する上総かずさ川を西隣猿山さるやま村境で合する。東と南は狩野かの村と接する。村央を西南へ最乗さいじよう寺参道が通る。

近世は小田原藩領。寛永初期の小田原領西筋村々高ノ帳に「高百八石三斗六升四合 飯沢」とある。寛文一二年(一六七二)の村明細帳(県史四)によれば田方七町五反余、畑方九町三反余、山畑三町三反余、用水上総川より取水し、諸役には柿渋・大梅・枸杞などを出し、農間稼は南方の山々で粗朶を刈り、売出した。寛永初期の家数一五、うち名主一・本百姓六・わき者七・小引一(村々高ノ帳)、寛文一二年の家数三四、うち名主一・本百姓(七か)・柄在家一八・大工一・木引一・禰宜一・山伏一・門屋四、馬一三(村明細帳)、享保一七年(一七三二)の人数二一六(「村明細帳」区有文書)、天保五年(一八三四)の家数四三、うち本百姓二五・無田一八(「村明細帳」区有文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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