飯田屋八郎右衛門
いいだやはちろうえもん
[生]文化2(1805).大聖寺
[没]嘉永5(1852).大聖寺
江戸時代後期の陶画工。加賀の大聖寺で,初め染色業者の上絵師,のち九谷焼の宮本屋窯の絵付けに従事。細い赤色の線描きで細密な下絵を描き,金彩を加えた独特の金襴手 (きんらんで) を作った。これを「八郎手」と称する。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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飯田屋八郎右衛門 いいだや-はちろうえもん
1804-1852 江戸時代後期の陶画工。
文化元年生まれ。家業は染物上絵師。天保(てんぽう)6年加賀(石川県)山代の宮本屋窯に絵付師としてむかえられ,赤絵金襴手(きんらんで)を創作。「赤九谷」を完成させた人として知られ,その作風は「八郎手」といわれた。嘉永(かえい)5年7月14日死去。49歳。加賀大聖寺町出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の飯田屋八郎右衛門の言及
【九谷焼】より
…この様式は九谷諸窯で行われ,その伝統は今日まで続いている。吉田屋窯は1831年(天保2)に廃窯となるが,九谷諸窯では飯田屋八郎右衛門,粟生屋源右衛門,九谷庄三(しようざ)(1816‐83)などの名工が輩出し,幕末から明治への政治変革期の混乱にも影響をうけず,さらに活況を呈した。華やかな金襴手や青九谷が輸出用として焼かれ,明治20年代には日本の輸出磁器としては有田をこえて第1位となり,その名を世界に広めている。…
※「飯田屋八郎右衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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